さて、人が他者に与える印象、イメージについてであります。
「嘘つき泥鰌」と言われてきた野田佳彦首相は今回、衆院解散を表明するに当たり、なんと小学生のころのエピソードまで持ち出して自分のことを「バカ正直」だと強弁し、それに呼応するように玄葉光一郎外相も今回の解散を「バカ正直解散」だと名付けてみせました。
で、実際、テレビのコメンテーターや評論家などの反応を見ても、「野田さんは約束を守った」「意外にまともだ」などと評価する声が出ています。まあ例によって予想された範囲というか、ありがちな展開ですね。
「自爆解散」や「自己愛解散」、「嘘つき逃れ解散」などと皮肉る声もありますが、野田氏の作戦勝ち、とみる向きの方が多いように感じます。そうした受け止めがあることもある程度、理解はできます。
ただねえ、天の邪鬼の私はこうした世間の反応について、二つの点で違和感を覚えているのです。
一つは、「近いうち」と約束した人が、3カ月以上もたってからそれを実行したからといって、果たして嘘をついていないと言えるのかという問題です。私の常識では、もう「近いうち」には入らないだろうと感じるのですが、まあ、これは人によって感覚が違うものかもしれません。
そしてもう一つは、今回、野田氏がテレビなどで妙に称賛されているのをみて、一時期けっこう好きで読んでいた長寿漫画「こちら葛飾区亀有公園前発出所」の確か割と初期のころに出てきたエピソードを思い出したからです。
正確には覚えていませんが、だいたいこんな話です。昔かなりグレていて悪かった不良少年が、更正してまともに働き出したのを、周囲の人たちがみんな褒め称えました。それを皮肉な目で眺めていた両さん(両津勘吉)が、
「そんなの褒めることないの。もともとダメだった奴がいま普通になっただけで、あくまで普通に過ぎない。それで当たり前なんだから、褒めることはないよ!」
と突き放すのです(うろ覚えなので実際のセリフはだいぶ違うかもしれません)。長寿漫画すぎて、これを読んだのが私が少年のころだったか成人してからだったかも思い出せませんが、全くだと同感したのを記憶しています。
野田氏にしても、消費税増税一つとっても野党時代と政権の座に就いてからでは言っていることが全然違い、それを意図するしないにかかわらず、たくさん嘘をついてきたことは紛れもない事実です。マニフェストの実行なんかもそうですね。今さらいちいち数え上げることはしませんが。
なので、そういう嘘つきが、さんざん遅延させた上で一つ約束を守ったからといって、「よくやった」と言うのは筋違いであると思うのです。普通の人は、別に「更正」を必要とするまでもなく、基本的に正直に真っ当に生きていて、それで特に他者から褒められるわけでもないのですから。
私にしてみれば、今回の野田氏が約束を守ったと言えるかどうかも怪しいのですが、仮に嘘つきが一回約束を守ったとして、それで普通の正直な人たち以上に称賛するのは倒錯以外の何物でもないと思うのです。まあ、どうでもいい、つまらない話ですが。
杜父魚文庫
11016 更正した(?)嘘つきを褒め称えることへの違和感 阿比留瑠比

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