11037 新潮45掲載の朝日社友の記事に深く共感する   阿比留瑠比

民主党政権もそろそろ終わりだというのは衆目の一致するところなので、新聞や雑誌ではこれから、この3年余の総括が行われることと思います。いったいこの、バカバカしく軽佻浮薄でかつ、深刻な弊害を招いた悪夢の季節は何だったのかと、それぞれの視点で振り返ることでしょう。
で、その一環なのでしょう、現在発売中の「新潮45」12月号は、「民主党の墓碑銘」という巻頭特集を組んでおり、拙文「国を危うくさせた『政治主導』」も掲載されています。
私自身は、本来ニュートラルで清新なイメージもあった「政治主導」という言葉を、ただ手垢にまみれさすどころか迂闊に口に出すと恥ずかしい禁句にしてしまった彼らの罪深さを書いたのですが、それはともかく、この特集の中に朝日のコラム「素粒子」の執筆者だった河谷史夫氏(現朝日新聞社友)の文章もあったので注目して読んだのでした。
「民主党政権は『うその四乗』」というタイトルのそれは、民主党政権を持ち上げ、さながら応援団のようだった朝日本紙とは異なり、かなり辛辣なものでした。以下、ちょっと引用して感想を加えてみます。
《苦々しくも三年前、政権交代をまるで「革命」でも来たかのようにはしゃいだ新聞があったが、見通しの悪さを懺悔するしかあるまい》→これ、名指しはしていませんがまさに朝日のことですね。政権交代前夜のはりきりぶりは忘れられません。
《衰亡の原因は、言葉を大事にしなかったことにある。今や空しい「政治主導」に始まって原発対応に至るまで、政権の発した言葉は虚言であった》→いやおっしゃる通り。まさに稀代の嘘つきが三代続き、周囲も嘘つきで固められた政権でした。
《菅直人は消費増税で公約を翻して信を失った。どだい首相の器ではなかった》→なんだか認識が非常に一致するなあ。
《かつて江藤淳は菅を「市民派の仮面をかぶった立身出世主義者」と呼んだが、地位への執着はあからさまであった。原発「人災」後の菅降ろしへの抵抗は目に余った。温厚な読売新聞の「編集手帳」ですら「粗にして野、しかも卑」と断じたほどであった》→私も自分の記事の中でこの江藤淳氏の言葉を引用したことがあります。また、この読売のコラムもはっきり覚えています。確か元国鉄総裁、石田礼助氏の言葉「粗にして野だが卑ではない」をパロディって菅氏のことを「粗にして野にして卑でもある」と指摘していましたね。
《(野田佳彦首相は)言葉に重みがない。真実味というものが感じられない。機械人形のようにネジを回すとしゃべり出すが、言うことが上滑りするだけで、何一つ記憶にとどまらない》→表現が上手いなあ。同感です。あまり言われていませんが、私は野田氏こそ「巧言令色少なし仁」の典型のような人かもしれないと疑っています。
《(前原誠司国家戦略担当相が)政調会長のとき、産経新聞に「言うだけ番長」と書かれ、記者を会見場から追い出したのはお笑いだった。本当のことを言われたら人は怒る。メール事件も八ツ場ダムも、前原はまさに「言うだけ」だったではないか》→あれは随分と「小者ぶり」を発揮してくれたエピソードでした。まさに笑うしかない。
《鳩山も菅も野田も、そして前原も、いずれも言いっ放しで無責任だった。うそつきと謗られて当然である。
無責任な指導者は先の大戦でもふんだんにいた。例えばインパール作戦を見よ。十万の将兵のうち三万が戦死、四万が傷病を負ったが、失敗の責任を取った指導者はいない》→私も自身の記事で、菅氏のあり方を無茶なインパール作戦を主導した牟田口廉也第十五軍司令官になぞらえて書いたことがありますが、誰しも連想するところは一致しているようです。
……とまあ、この河谷氏の記事には全く違和感がなく、むしろ強い共感を覚えました。問題は、どうしてこういう真っ当な認識が朝日の紙面にきちんと反映されなかったのか、ということにある気がします。やはり「社論」の壁が厚かったのかどうか。
みんながごく自然に当たり前に、そこにあるものをその通りに受け止めて見れば、そんなに見方、見えてくるものは変わるわけがないのに、現実は往々にしてそうはいきません。弊紙だって歪んでいるところや、斜眼帯をはめて視野を狭くしてしまっているところはあるでしょうし。
これは、どうしようもないことなのか。それとも、時代の流れや世代交代で変わっていくものなのか。後者ではないかと思うのですが、まだどうなるのかよく分かりません。
杜父魚文庫

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