先日、山本七平賞受賞のジャーナリスト、門田隆将氏が私に新著『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五◯◯日』(PHP)を届けてくれたので、それを紹介しつつ、菅直人前首相の原発事故対応について考えようと思います。
私の産経紙面やこのブログを通じ、たびたび訴えてきたことは、事故対応に関する責任者であり当事者である菅氏の証言そのものが、全く信用できず、また、菅氏と一蓮托生かつ共同正犯である当時の官邸政治家(枝野幸男、福山哲朗、細野豪志、寺田学各氏ら)の言葉も、どこか自分自身や菅氏をかばっていたり、核心部分をごまかしていたりでそのまま受け取ることはできない、ということでした。
むしろ彼らは事故発生の当初から、東電への不信感から、あるいは自己保身のため、直接事実を知り得ない報道関係者に事実と異なることをたびたび発信してきた経緯があります。そしてその極端にバイアスのかかった発言を、当事者の貴重な証言としてそのまま垂れ流したメディアやフリー記者も少なくなかったことと思います。
そういう中にあって、この門田氏の著書はそれらとは一線を画し、何より吉田所長はじめ事故現場の関係者から多くの体験談を聴き、官邸政治家の一方的な言い分だけでなく、その場にいた官僚や技術者の目撃談を丁寧に拾い、東電に怒りの目を向けつつもそこからも記録を集め、最期には菅氏本人にもインタビューして「言い訳」「釈明」「自己弁護・美化」「正当化」の機会も与えた上で書かれています。
まあ、菅氏のコメント部分は話半分か話四分の一程度に読み流せばいいのですが、つまりはたいした力作であり労作である、ということですね。
ちなみに菅氏の証言が事故直後と現在ではころころ変わってほとんど原型をとどめていないことは、私は今年6月30日付の産経コラム「政論」に「原発事故対応、揺れる言動 菅前首相、武勇伝語る資格なし」という以下のコラムを書いています。
《脳内で記憶が次々と自分に都合よく書き換えられていくのか。それとも病的な虚言癖なのか-。東京電力福島第1原発事故対応をめぐる菅直人前首相の言動は、もはや「引かれ者の小唄」とあざ笑うだけでは済まされない。
◆東電報告書に反論
東電が20日に社内事故調査委員会の最終報告書を発表したのを受け、菅氏は21日付のブログで、清水正孝社長(当時)と自らのやりとりに関する記述について「事実は違う」と真っ向から反論した。
「報告書では、3月15日未明の官邸での私と清水社長の会談で、清水社長が『撤退は考えていません』と発言したとしているが、事実は違っている。私から清水社長に『撤退はあり得ませんよ』といったのに対して清水社長は『はい、わかりました』と答えた」
菅氏は5月28日の国会事故調による参考人聴取の際も同じ主張をした。要は「清水氏が明確な形で撤退を否定しなかったため、3月15日未明に自ら東電本店に怒鳴り込む必要があった」というお手盛りの「物語」を崩したくないのだ。
だが、皮肉にも菅氏自身の過去の発言がこの「物語」を論駁(ろんばく)している。現在より記憶が新しかったはずの昨年の国会で、菅氏は何と説明していたか。
「社長は『いやいや、別に撤退という意味ではないんだ』ということを言われた」(4月18日の参院予算委員会)▽「『引き揚げてもらっては困るじゃないか』と言ったら『いやいや、そういうことではありません』と」(4月25日の同委)▽「『どうなんだ』と言ったら『いやいや、そういうつもりではないけれども』という話でした」(5月2日の同委)
それぞれ微妙に言い回しが異なり、徐々に清水氏の「撤退否定」のニュアンスを薄めているが、いずれにしろ菅氏の最近の主張とは明らかに食い違う。
◆答弁まるで虚偽?
菅氏が第1原発1号機への海水注入中止を指示した問題についても、菅氏は国会事故調で事実関係をきっぱり否定した。「淡水から海水に変えても再臨界が起こることはない。それは私もよく分かっていた…」
ところが、昨年5月23日の衆院東日本大震災復興特別委では何と言ったか。「私の方からいわゆる再臨界という課題も、私にはあった」
5月31日の同特別委ではこう振り返っている。
「再臨界のことも『どうですか』と尋ねた」「海水を注入したときのいろいろな可能性を検討するのは当然じゃないですか。水素爆発の可能性、水蒸気爆発の可能性、再臨界の可能性、そして塩が入ることによるいろんな影響…」
菅氏は「過去の国会答弁は虚偽でした」とでも言うつもりなのか。付け加えると、官邸で一部始終を目撃していた関係者は「菅氏はこう怒鳴っていた」と証言している。
「海水を入れると再臨界するという話があるじゃないか! 君らは水素爆発はないと言っていたじゃないか。それが再臨界はないって言えるのか。そのへんの整理をもう一度しろ!」
言わずもがなの話だが、原発事故対応で失態を重ねた菅氏に武勇伝を語る資格はない。
「敗軍の将は以(もっ)て勇を言うべからず」。司馬遷は史記でこう戒めている。それでも悪あがきしたいのならば、偽証罪に問われる国会の証人喚問に応じてみてはどうか。(阿比留瑠比)》
……さて、私が記事に書いた3月15日未明の官邸での菅氏と清水氏とのやりとりについてです。菅氏の記憶が混乱というよりも、都合のいいように修正・上書きされていることは理解していただけると思いますが、この点について門田氏は著書でどう書いているか。ご本人の許可を得た上で長めに引用します。()は私の補足です。
《「東京電力は、福島第一原発から撤退するつもりなのか」
管は、最初から、そう問い質した。だが、清水の答えは、その場にいた全員を絶句させた。
「撤退など考えていません」
えっーー。撤退するのではないのか。撤退するというから、この夜中に全員が緊急に集まっているのではないのか。誰もが清水を見てそう思っただろう。
「清水さんが席に座って、〝撤退など考えていません〟と言った時、かくっと来ました。そして、なんだ、やっぱりそうか、と思ったんです」
班目(春樹原子力安全委員長)は、そう語る。
「それまで、私は政治家に全員撤退と聞かされているわけです。私も現場がどれぐらいの線量になっているか、知りません。免震棟のフィルターでどれぐらい頑張れるか、わからない。だけど、その後、さらにすごい現象が起こったというのも聞いていないわけだから、何もできない、何もできないと東電が言っているだけじゃないかというふうに思っていたんです。
なんで撤退なんだと。おかしいなと思って、問い質そうと思ったの。しかし、清水さんが部屋に入ってきて〝撤退など考えていません〟と言ったのには、本当にびっくりしました。かくっと来て、次に、やっぱり撤退ではなかったのか、と思いました。ほんと撤退などありえないことですからね」
班目は、清水の話に耳を傾けた。
「清水さんは、わりと小さい声で、ボソボソっとしゃぺるでしょ。それで〝撤退など考えていません〟と言いましたよ。私は、それまで、撤退などそんなわけないと思いながら、政治家に〝撤退を認めていいのか〟と聞かれていたわけですからね。
政治家からああ言われちゃったら、私も東電が本当に完全撤退を考えていたのかなと、信じましたよ。私自身が(東電・清水社長から)電話を受けたわけじゃないし、電話を受けた複数の政治家にこう言っていると言われたら、信じますよ。でも、東電が政治家に誤解させるようなことを電話したのは確かですからね」》
……さて、当時、パニックに陥ってぶち切れていた菅氏と、まだ比較的冷静だった班目氏のどちらの証言がより確からしいでしょうか。以前のエントリに書いたように、私も官邸政治家側が、「東電の意向を全員撤退と受け止めた」こと自体はその通りだろうと思います。ただ、それは経緯をたどるとどう考えても、おそらくは最初に電話を受けた海江田万里経産相(当時)の勘違いから始まった独り相撲に過ぎません。それは明らかだろうと思います。
にもかかわらず、菅氏は反省するどころか清水氏の言葉をねじ曲げ、国会で嘘を証言しているわけです。せっかく鳩山由紀夫元首相も政界を引退したことだし、ホントにこの人だけはどうにかしてほしい。
ともあれ、門田氏は著書で、この後に東電本店に怒鳴り込んだ菅氏の姿も克明に描写しています。門田氏によると、やはり、映し出されたテレビ会議の映像を見ながらメモをとっていた社員はたくさんいた、とのことでした。
《テレビ会議映像には、菅のうしろ姿しか映っていない。だが、声はマイクを通じて響き渡っている。左手を左腰のうしろにあて、向き直ったり、さまざまな方向を見ながら、菅はしゃべり続けた。
言うまでもなく吉田(所長)以下、福島第一原発の最前線で闘う面々にも、表情こそ見えないものの、興奮した菅のようすがわかった。
その現場の人間の胸に次の言葉が突き刺さった。「撤退したら、東電は百パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ!」
逃げる? 誰に対して言ってるんだ。いったい誰が逃げるというのか。この菅の言葉から、福島第一原発の緊対室の空気が変わった。
(なに言ってんだ、こいつ)
これまで生と死をかけてプラントと格闘してきた人間は、言うまでもなく吉田と共に最後まで現場に残ることを心に決めている。その面々に、「逃げてみたって逃げきれないぞ!」と一国の総理が言い放ったのである。》
……東電に乗りこむ前、菅氏は清水氏から「全面撤退など考えていない」と聞いているわけです。それなのに、東電で「逃げてみたって…」と現場の神経を逆なでし、士気を削ぐようなことを絶叫し、後に国会では「夫婦げんかの時より小さな声で話した」とかふざけたことを言うわけです。
現在、菅氏は選挙応援の要請もないので、地元に張り付いて街頭に立ち、脱原発を訴え続けているそうです。
それは勝手ですが、これが「脱原発の旗手」の実像というわけですね。私はエネルギー政策にさまざまな意見があるのは当然であり健全であると思いますが、いかなる立場、主義・主張をとろうとも、菅氏のようであってはならないと、それだけは確信を持って言えます。
杜父魚文庫
11068 門田隆将氏の渾身のノンフィクションにみる菅前首相 阿比留瑠比

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