11073 書評『会津万葉集』  宮崎正弘

逆風、逆境を生き抜いた会津人の詩心には志の高さがあった。奮起する東北人の心意気は万葉集に値する。
<中村彰彦・三角美冬『会津万葉集』(歴史春秋社)>
古代から中世、戊辰から昭和へといたる会津人や会津を詠んだ昭和天皇の歌が収録された。会津を愛した秀歌を一冊に集めた。
編者のひとり、作家の中村彰彦はかく動機を述べる。
「この四半世紀ほどの間、会津史に材を得た作品を書くために資料を読み続けるうちに、みごとな秀歌に出会って会津人の歌心の水準の高さに驚かされる体験がうち続いた」。
そして「東日本大震災の余波を受け、観光客の減少等に悩んでいることは承知しているつもりだが、歴史的に見た場合、会津には逆風、逆境の時代にも心屈することなく生きていった人々が少なくなかった」からだと言う。
たとえば与謝野晶子はこう詠んだ。
 ――白虎隊屠腹の山の悲しみは 羅馬の塔もなぐさめぬかな
来年のNHK大河ドラマの主人公、新島八重は詠んだ 
 ――いくとせか峰にかかれるむら雲のはれてうれしきひかりをぞみる
北京の55日の大立者となった芝五郎
 ――久かたの天津ひかりに会津山はれてうれしき峰のよこ雲
悲劇の藩主となった松平容保の歌は
 ――忘れずよ 飯盛山の山風にちりし木の葉の秋の哀れは
中村彰彦の事実上のデビュー作の主人公、佐川官兵衛は詠んだ
 ――君がため都の空を打ちいでて阿蘇山麓に身は露となる
歴代藩主は伊達政宗が出羽から会津へ赴任した
 ――山あひの露はさながら海に似て浪かと聞けば松風の音
蒲生氏郷が詠んだ歌は会津市内に歌碑が残る
 ――限りあれば吹かねど花は散りぬるを心短き春の山風
高遠からやってきた保科正之は将軍家光の実弟だった。四半世紀にわたり宰相を務めた
 ――誠にくもるる夜毎に野辺に伏せる枕のもとのくさの露けき
 
そして締めくくりは昭和天皇の御製が掲げられた。
 ――雨はれし水苔原に枯れのこるほろむいいちご見たるよろこび
ひとつの歌が一頁に時代背景の説明、歌の解説が掲げられ、読みやすい。涙と感動を抜きには読み終えることが出来なかった。
杜父魚文庫

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