11115 金正恩氏の後見役だったはずの「軍4人組」全員更迭   古澤襄

韓国の朝鮮日報によると、北朝鮮軍の金正覚・人民武力部長を解任され、後任に延坪島砲撃主導の金格植大将がなった背景には、軍首脳部の驚くべき失脚と閑職へ追いやる異動人事があった。
何と昨年12月の金正日総書記の葬儀で、霊きゅう車に随伴した軍最高幹部四人が、全員失脚したかまたは閑職へと追いやられたという。
韓国政府の関係者は「金正恩第1書記は一人で、わずか11カ月の間に『父親の痕跡』を全て消し去り、北朝鮮軍を自分の軍隊に変えている」と分析した。
<北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党第1書記の側近だった金正覚(キム・ジョンガク)人民武力部長(71)=次帥=が更迭されていたことが29日までに分かった。韓国大統領府(青瓦台)の関係者は29日「金正恩第1書記はこのところ、忠誠度に基づいて軍首脳の入れ替えを進めている。人民武力部長も金正覚次帥から、延坪島砲撃を主導した金格植(キム・ギョクシク)元第4軍団司令官(72)に変わった」と語った。
金正覚次帥を人民武力部長に起用してからわずか7カ月で更迭したことになる。これで、昨年12月に行われた金正日(キム・ジョンイル)総書記の葬儀で霊きゅう車に随伴した軍部4人組は、全員失脚したかまたは閑職へと追いやられた。
葬儀で4人組の先頭に立っていた李英鎬(リ・ヨンホ)元総参謀長は今年7月15日、朝鮮労働党の政治局会議で「全ての職から解任」と決まった。李元総参謀長のすぐ後ろに立っていた金永春(キム・ヨンチュン)元人民武力部長は今年4月に部長ポストを金正覚次帥と交代し、閑職(朝鮮労働党民防衛部長と推定)へと追いやられた。一番後ろに立っていた禹東則(ウ・ドンチュク)元国家安全保衛部第1副部長は、今年2月16日に光明星節(金総書記の誕生日)の行事へ出席したのを最後に公の場から姿を消した。
この4人には、2009年1月に金正恩第1書記が金正日総書記の後継者に内定した後、金正日総書記によって金正恩第1書記の「後見グループ」に起用されたという共通点がある。これまで金正恩第1書記のために働いてきたが、4人とも「父親に忠実な人間」だったわけだ。韓国政府の関係者は「金正恩第1書記は一人で、わずか11カ月の間に『父親の痕跡』を全て消し去り、北朝鮮軍を自分の軍隊に変えている」と語った。
金正覚次帥は、後見グループの中でも金正恩第1書記の信任が最も厚かったといわれる人物だ。かつては病気療養中だった趙明禄(チョ・ミョンロク)元総政治局長(2010年11月死亡)に代わり、第1副局長ながら総政治局を指揮してきた。さらに2010年9月の第3回朝鮮労働党代表者会で政治局候補委員と党中央軍事委員に選ばれ、注目され始めた。金正恩体制発足後の今年2月には大将から次帥に昇進し、その2カ月後には人民武力部長に任命された。
その後も活発に活動していたが、先月30日に平壌の万寿橋清涼飲料店完成式に出席したのを最後に、公の場から姿を消した。安全保障部局の関係者は「金正覚次帥については最近『保身主義が体に染みつき、すべきことをしない』という批判が多かった」と語った。
後任の人民武力部長に起用されたとされる金格植氏は、総参謀長を経て、09年2月に西海(黄海)北方限界線(NLL)を管轄する第4軍団の司令官に降格されるという、独特の経歴がある。北朝鮮はその後、09年11月に大青海戦、10年3月に哨戒艦「天安」爆沈事件、10年11月に延坪島砲撃事件を起こした。
延坪島砲撃の後、金格植氏は総政治局の指導検閲で「南朝鮮(韓国)の反撃にきちんと対応できなかった」と批判され、辺仁善(ピョン・インソン)上将(大将の下の階級)と交代した。
金格植氏は、金第1書記が今月19日に第534軍部隊傘下の騎馬中隊の訓練場を視察した際、大将の階級章を付けて金第1書記を出迎え、再起に成功した。(朝鮮日報)>
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