オバマ政権二期目の中国への政策がどうなるか。その結果はもちろん日本への政策と密接にからみあってきます。その点について雑誌「正論」の2013年新年号に論文を書きました。
論文のタイトルは「第二次オバマ政権の対中政策はこうなる」となっています。
長かったアメリカ大統領選挙も11月6日、ついに終わった。バラク・オバマ大統領の再選が決まった。総投票数では対抗馬の共和党ミット・ロムニー候補への支持を表明した有権者が約5800万、オバマ大統領への票が約6100万と、僅差だったが、アメリカ独特の各州の選挙人の争奪ではオバマ氏がかなりの差をつけた。とにもかくにもアメリカ国民の信任はオバマ氏に再び託された。第二次オバマ政権が2013年1月21日にスタートする。
長く険しいアメリカの大統領選挙キャンペーンはマラソンとボクシングの同時進行にもたとえられる。複数の参加者が長い距離を走りながら、その間、たがいにパンチをあびせあう。正規の党員集会や予備選挙のプロセスだけでも1年近く、そのまた予備の戦いを含めると、なんと2年近くも熾烈な戦いが続くのである。
その間、現実の内政、外交への政府や議会の取り組みはとどこおりがちとなる。次の大統領が誰になるかわからないという状況が少しでもあると、大きな政策案件は棚上げにし、先延ばしにしようという政治傾向が生まれるのだ。民主主義政治の宿命だともいえよう。
さて二期目のオバマ政権の施策ではなにが主要の優先課題となるのだろうか。オバマ大統領にとっては国内の経済や政府の財政、そして医療保険改革のさらなる推進を始めとする社会保障政策など、一連の国内問題がまず切迫したテーマだろう。だが外交も重要である。そして外交、つまり対外政策となれば、やはり中国が最大の対象として浮かびあがる。
いまのアメリカにとっての中国の重みは単に外交の範疇ではすまされないことは大統領選キャンペーン中にも印象づけられた。アメリカ国内経済や失業までが中国という要素によって左右される度合いが高くなっているのだ。そのうえにアメリカの巨額の財政赤字を事実上、補填するのは中国が米国債を買うチャイナ・マネーともされる。だから大統領選挙中の一連の討論会でも10月22日に開かれた外交問題論争では中国が最大の課題となった。
この討論会ではロムニー候補がオバマ政権の対中政策を甘すぎると非難し、もし自分が大統領になれば、就任の初日に中国を「通貨レート不正操作国」に指定して、経済制裁の対象にすると宣言した。これに対しオバマ大統領は自分も中国の不正貿易慣行などに対し、WTO(世界貿易機関)への提訴やアメリカ独自の懲罰など具体的な措置を果敢にとってきたと反論した。
オバマ氏はそのうえで中国を「敵対者(Adversary)であるとともに潜在的なパートナー」と評した。この「敵対者」というのは外交用語としてはきわめて厳しい表現である。戦争の相手も同じ言葉で呼ぶほどなのだ。オバマ氏はさらにこんご中国が「(国際社会でアメリカはじめ)他の諸国が順守している規則を守ることを求め続ける」とも言明した。
オバマ氏のこうした言葉は断片的とはいえ、当初のソフトな対中姿勢からすると、ずっと強固な中国への取り組みを示していた。二期目の政権では中国を正面から外交政策の中心に位置づけ、厳しい構えでぶつかっていくという意図の表明だといえよう。
では具体的に中国に対するどのような政策や戦略がとられるのか。その内容をオバマ政権の軌跡を少しさかのぼって、多角的に眺めてみよう。
オバマ大統領の現在の対中姿勢の背景には「アジア最重視」というスローガンの新政策がある。アジアへの「旋回」とかアジアでの「再均衡」とも呼ばれる安全保障の重点シフト、軍事力の再展開を主体とする政策である。この政策はオバマ政権の第一期の後半からすでに打ち出されていた。当初は米軍のアジア・シフトという形で新政策が浮かびあがってきた。その基本はオバマ政権のレオン・パネッタ国防長官とヒラリー・クリントン国務長官によってほぼ同時に発表された。
アジア歴訪中のパネッタ長官は2011年10月に日本を訪問した際、「アメリカはアジア・太平洋での軍事プレゼンスを強化する」と言明した。イラクの米軍の駐留が同年内で終わり、アフガニスタンでも米軍の規模が着実に縮小するにつれ、米軍の世界的な戦略が「転換点」を迎え、その重点はアジアへと移るということだった。
それと前後して、クリントン長官も大手外交雑誌に発表した「アメリカの太平洋の世紀」と題する政策論文で、「アメリカのこれまで10年のイラクとアフガニスタンでの軍事努力は、その重点を移し、こんごの少なくとも10年はアジア・太平洋にシフトする」と明言した。
このアジア・シフトの最大の理由は、どう考えても中国とみなされた。「みなされた」という遠まわしな表現をあえて使うのは、オバマ政権がこの種の対中戦略では公式には決して、その理由や対象として「中国」の名をあげないからだ。公然たる対決を避けるという姿勢だろう。この点は後述するように、オバマ政権のよくいえば慎重さ、悪くいえば腰の引けたところなのである。
それでもクリントン国務長官はその論文ではシフトの原因について、外交や経済、戦略の各面でのアジア・太平洋への包括的な関与が必要になったと述べる一方、同時に中国に最大の記述を費やしていた。しかも「中国の軍事力の近代化と拡大」や「中国の軍事的意図の不透明さ」という言葉を前面に出していた。
そして、対中関与の重要性をうたいながらも、「公海の航行の自由」を再三、強調して、中国の南シナ海などでの傍若無人の行動に警告を発していた。だからこのシフトの理由は中国だという帰結が成立するわけだった。
パネッタ長官も、アメリカがこれからアジア、太平洋戦略を重視する背景として、「中国が軍事力の近代化を急速に進め、しかも透明性を欠き、東シナ海や南シナ海で威嚇的な行動を取っている」と具体的に述べていた。アメリカの戦略の理由は中国の最近の動向がその背景となっているという、一つの外交的言辞のクッションを設けたような表現だった。(つづく)
杜父魚文庫
11154 オバマ政権二期目の対中政策は? 古森義久

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