習近平の広東視察は表向き「新南巡」だが、軍隊を三回も視察した。まずはトウ小平の銅像に献花、王洋をともなって恵州、仏山、広州などへ。
習近平が総書記就任後、まっさきに広東へ赴いたには幾重にも興味深い。
団派の金城湯池の地区へ風穴をあけに行ったという観測が強いが、深センではトウ小平の大きな銅像に献花して、改革開放路線を堅持しますよ、と内外にアピールした政治的狙いが主目的だろう。トウが「南巡講話」を発表したのは深センであり、中国のマスコミは習近平の広東省視察を「新南巡」と書いて囃した。
しかし12月8日から12日まで習は五日間を広東省各地に過ごした。経済成長をささえた工業地帯の東莞、広州、仏山、珠海などを巡回し、要所要所の視察には王洋(広東省書記)が同行している。
つまり団派とも挙党態勢、政権を固めています、というジェスチャーである。
しかも習近平は三個所も軍隊を訪問しているが、この軍視察には許其亮(軍事委員会副主席)、氾長龍(同)、呉勝利(海軍司令)、馬暁天(空軍司令)が同行していることは注目に値する。
ミサイル駆逐艦「海口」(南海艦隊所属、7000トン)に試乗した。広州戦争区では戦車にものぼって見せた。ともかく五日間の視察で三回も軍を訪問した。
「この南方訪問は広東省書記を離れて近く副首相になる王洋が強く要請して実現した」とシンガポール紙が伝えた。というのも、12月8日から広東入りしているというニュースは、9日にシンガポール政府交通部長と会見した王洋が明らかにしたのが最初だからである。
視察後、何が起きたか?13日、北京に帰着した習近平はカーター元大統領と会見した。同日午前、中国は尖閣上空を領海侵犯した。軍事行動がエスカレートしたのだ。
杜父魚文庫
11217 習近平の「新南巡」後に軍事行動がエスカレート 宮崎正弘

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