11223 監視される中国特派員  渡部亮次郎

(再掲)中国に多少通じる人と会うと、「北京や上海の日本人記者は碌な記事を送ってこない」「中国に批判的な記事は1行も書かない」と非難する。
だが、事情を知れば、この非難は的外れだ。日中間には「政治三原則」遵守を義務付けられた「日中記者交換協定」と言うものが存在し、中国における日本人記者の取材活動を縛り、監視しているのである。
しかも、それを暴露すれば直ちに「国外追放」が待っている。追放されたら2度と中国へは入国できない。彼ら彼女らは片時も自由を得られず怯えながら取材をしているのである。
1964(昭和39)年9月には、LT貿易の枠組みの中で記者交換協定が結ばれ、読売新聞・朝日新聞・毎日新聞・産経新聞・日本経済新聞・西日本新聞・共同通信・日本放送協会(NHK)・TBS(現:TBSテレビ、当時の東京放送)の9つの日本の報道機関が、北京に記者を常駐できることになった。
1968(昭和43)年3月、LT貿易は計画の期限を迎えてあらたに覚書「日中覚書貿易会談コミュニケ」(日本日中覚書貿易事務所代表・中国中日備忘録貿易弁事処代表の会談コミュニケ)が交わされ、覚書貿易(MT貿易)へ移行した。
このとき双方が「遵守されるべき原則」として「政治三原則」が明記された。「政治三原則」とは、周恩来・中華人民共和国首相をはじめとする中華人民共和国政府が、従来から主張してきた日中交渉において前提とする要求で、以下の三項目からなる。
(1)日本政府は中国を敵視してはならない。
(2)米国に追随して「二つの中国」をつくる陰謀を弄しない
(3)中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げない。
中華人民共和国政府の外務省報道局は、これに基いて各社の報道内容をチェックして、「政治三原則」に抵触すると判断した場合には抗議を行い、さらには記者追放の処置もとった。盗聴は24時間である。
三原則を拡大解釈すれば、少しでも中国に批判的な記事は抗議の対象となる。ひいては日本記者たちに自己規制を強いる結果となる。それが中国の狙いだった。
記者交換協定の改定に先立つ1967(昭和42)年には、毎日新聞・産経新聞・西日本新聞の3社の記者が追放され、読売新聞と東京放送の記者は常駐資格を取り消されている。
この1968(昭和43)年の記者交換協定の改定は日中国交正常化(1972年)の4年前のことだったが、北京で交渉に当たった田川誠一・衆議院議員(故人)らと中華人民共和国政府との間で「結論は一般には公表しない」ことが決められ、その内容も報道されなかった。
筆者は当時、自民党担当のNHK記者だったが、後の「角福戦争」の前哨戦たる派閥抗争を追うのに忙しく、記者協定は勿論、日中そのものに関心が無かった。それにしても大変な「箍(たが)」がはめられていたものである。
後に外務大臣の秘書官に転身。「協定」の改訂にも関心を寄せたが一度味を占めた中国側の壁はもはや鉄壁だった。交渉に応じようともしなかった。
この不明朗な措置は、後に「一部の評論家などから、日中記者交換協定が、中国への敵視政策をとらないという政治三原則に組み込まれ、報道の自由を失っているとの批判を招く」一因になったとされる。
また協定の存在自体により、中国に対する正しい報道がなされず、中国共産党に都合の良いプロパガンダしか報道されていないという批判もある。
その後、中国からの国外退去処分の具体的な事件としては、産経新聞の北京支局長・柴田穂(みのる)は、中国の壁新聞(街頭に貼ってある新聞)を翻訳し日本へ紹介していたが、1967年追放処分を受けた。この時期は朝日新聞を除いた他の新聞社も、追放処分を受けている。
他社の記者がすべていなくなった北京で朝日の秋岡特派員は林彪が1971年9月13日、逃亡途中に墜落死したにもかかわらず生存説を打電し続けるという有名な誤報事件を起こした。
1968(昭和43)年6月には日本経済新聞の鮫島敬治記者がスパイ容疑で逮捕され、1年半に亘って拘留される(鮫島事件)。
1980年代には共同通信社の北京特派員であった辺見秀逸記者が、中国共産党の機密文書をスクープし、その後処分を受けた。1990年代には読売新聞社の北京特派員記者が、「1996年以降、中国の国家秘密を違法に報道したなどとして、当局から国外退去処分を通告された例がある。
このように、中国共産党に都合の悪い記事を書くことは、事実上不可能である。読売新聞社は、「記者の行動は通常の取材活動の範囲内だったと確信している」としている。
中国語習得を売り物に入社した記者は殆ど中国にしか用事が無い。中国に入国できなくなれば商売上がったりだ。だから滞在中は中国から睨まれないよう萎縮して取材するしかない。それを評して「まともな記事を送って来ない」と非難するのは的外れでは無いか。
余談ながら、1972年9月、日中国交正常化のための田中角栄首相の北京訪問の際、同行したが、望遠レンズの使用が禁止された。狙撃銃が仕込まれているかも知れない、というのだ。
また、日中首脳に10nまで近づける記者は「近距離記者」で特別待遇。それ以外の「遠距離記者」は「観衆」扱いだった。外国の商業メディアの記者は「反革命分子」同然なのである。参考「ウィキペディア」。(頂門の一針)
杜父魚文庫

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