11264 「断を下す」政治を期待する  平井修一

童門冬二著「戦国名将一日一言」から――
毛利元就は、よくこういうことを言った。
「トップが人を用いる時に、考えなければいけないことがある。それは、誰からも誉められる者を、決して重い役につけてはならないということだ。その理由は、誰からも誉められる者は、断を下せないからだ。
誰からもよく思われようとすると、たとえ悪事をした人間に対しても情け深くなる。そのために、評判はよくなる。しかし、公平を求める人間からは批判される。
したがって、真面目な者がしだいに仕事をしなくなる。こういうことを防ぐためには、やはり癖があっても、あるいは一部で批判があっても、そういう時に断を下せる者を用いるべきだ」
現在のビジネス社会でも、よく″大過なくすごす″ということをモットーにしている人がいる。元就にいわせれば、
「そんな人間は、毒にも薬にもならない。いてもいなくてもいい」
ということになる。元就がもっとも嫌ったのが“家中無事”という言葉だった。元就は、「家中無事は、やがて家の乱れるはじまりだ」と戒めていた・・・
「安心・安全な国」、いわば“家中無事”を願ったところで災難はやってくる。自分で自分を守る安全保障の覚悟が必要で、そのためには何をすべきかを考え、実行していくのが肝腎だ。他力本願で、お題目のように「安心・安全」を唱えたところで無意味である。人災、天災は日本を避けてはくれない。
再チャレンジの安倍新政権には朝日新聞をはじめとする反日マスコミという敵が手ぐすね引いて倒閣の機会をうかがっているだろうが、その圧力に屈せず、また世論とか民意というあやふやな感情に流されたり、阿(おもね)ることなく、国家百年の計で「断を下す」政治を期待したい。
危機を突破し、力強い日本をとりもどすためには、強引なほどのリーダーシップが求められている。野田佳彦は誰もできなかった消費税増税と、解散反対の声を押し切って民主党を政権党から引きづり降ろしたことで名を残した。安倍晋三は何をもって名を残すのだろうか。命懸けで奮闘してほしいものである。(頂門の一針)
杜父魚文庫

コメント

タイトルとURLをコピーしました