アメリカ議会の長老ダニエル・イノウエ上院議員の死去が各方面で語られ、悼まれています。日系2世のイノウエ氏の多難で輝く実績は周知のとおりです。
しかし意外と知られていないのは、このイノウエ議員がアメリカ議会下院で同じ日系議員のマイク・ホンダ氏が中国勢力から推されて提出した日本のいわゆる慰安婦非難決議案に強く反対していた事実です。
日本のメディアでもこの点を伝える報道はほぼ皆無です。
<【評伝】ダニエル・イノウエ氏 日米関係の深層、大きな損失>
米国上院長老のダニエル・イノウエ議員の死去は日米関係の深層にも大きな損失として悲しみの波紋を広げた。イノウエ議員が近年、日米間での慰安婦問題など複雑な課題でも米国の国政の場で日本側の立場や心情に配慮した言動をも取ってきたからだ。
福岡県から米国に移民として渡った日系1世を両親にもつイノウエ氏の半生は、自らの「日本」を否定することでもあった。日米開戦で日本側との絆を疑われて 集団収容された日系米人たちが米国への忠誠を誓って米軍に志願し、欧州戦線で活躍した。イノウエ氏はその中心人物だった。
同氏の所属し た日系人部隊第442連隊は欧州戦線でドイツ軍と勇猛果敢に戦い、輝かしい戦果をあげた。同氏はその戦闘で負傷し、右腕を失った。しかし勲章を得て帰国し た同氏がカリフォルニアの理髪店で日本人の血を理由にサービスを断られた体験は、当時の米国社会の偏見を示す実例として広く伝えられた。
戦後、弁護士を経て連邦議員となってからもイノウエ氏は長年、日本側と接触せず、日米関係へのかかわりもなかった。1980年代の日米貿易摩擦でも米国政治家として日本の市場閉鎖性などを非難した。だが日米の利害の激しい衝突がなくなったここ十数年、両国関係にも日本にも積極的にかかわるようになった。
イノウエ氏は2007年6月、下院が日本の慰安婦問題非難の決議案を事実誤認のまま推進したときは、「もう済んだ過去の問題で現在の友好を傷つけるな」と正面から反対した。
同氏は戦争中に日本軍捕虜となった米人たちの抗議活動にも、日本側との和解を促す役割を果たした。最近ではアジア太平洋の安定や日米防衛協力の推進のために普天間基地問題でも両国の歩み寄りを提唱した。
なおアジアの安定に関してイノウエ氏は11年1月、米議会の超党派機関「米中経済安保調査委員会」が開いた公聴会で中国の海軍力やサイバー攻撃能力の増強、対艦ミサイルやステルス戦闘機の開発への警告を発し、日米同盟の意義を改めて強調もした。
同年7月には、北朝鮮に家族を拉致された日本人の「家族会」の代表たちにも会って、熱い支援を送っていた。「上院の同僚に呼びかけて解決に協力したい」と日本側を勇気づけた。
イノウエ氏の日米関係への深いかかわりは08年5月まで6年半も駐米大使を務めた加藤良三氏の説得も大きかった。加藤氏の送別パーティーではイノウエ氏が送別の乾杯を提唱し、別れを惜しんでいた。
米国政界の最有力者として日米関係を多方面から支えた知日派イノウエ氏の死は両国間の損失としても惜しまれる。
杜父魚文庫
11293 慰安婦決議に反対したイノウエ上院議員を悼む 古森義久

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