11346 カーターの在韓米軍撤退構想  古澤襄

ドン・オーバードーファーの「THE TWO KOREAS」は、何度、繰り返して読んでも面白い。読むたびに新しい発見があるからだ。
私は最初は、1994年のクリントン大統領当時に、米第7艦隊が北朝鮮の元山沖に集結した記述に興味を惹かれた。クリントンの御前会議でペリー国防長官が、朝鮮半島で戦争が勃発すれば、最初の90日間で米軍兵士の死傷者が五万二千人、韓国軍の死傷者が四十九万人にのぼると報告している。
ワシントンでこのように深刻な会議があったことを、日本の羽田政権が知るよしもない。韓国政府も在韓米軍から何も知らされいない。すべては極秘裏に行われた。ドン・オーバードーファーは未公開の米政府・軍の機密資料を掘り起こして、真相に迫っている。
「THE TWO KOREAS」が朝鮮半島現代史で高く評価されているのは、機密資料の集積によって実証的に歴史の事実を解明した点にある。明らかなのは、超大国のアメリカはひとたび開戦を決意すれば、同盟国の日本や韓国に対しても、事前の予告はしたがらない冷厳な性格を持っているということである。
こんど、興味に駆られたのは、ジミー・カーター元大統領という平和主義者の分析である。ドン・オーバードーファーはかなりのページを割いてカーターのことを書いている。
書き出しは「カーターの戦慄」。<ベチナム戦争の手ひどい失敗を受けて、海外における米国の軍事関与に反対の声を上げたのは、この戦争後に最初の大統領になったジミー・カーターだった。
カーターは大統領に名乗りを上げた初期の段階で早くも1975年1月、韓国からの米軍撤退を主張した。ベトナムから米軍が引き揚げた後、韓国はアジア大陸で米軍が展開する唯一の地域となった。
無名に近かった前ジョージア州知事が意外にも民主党大統領候補の指名を獲得し、さらに大統領選で勝利すると、彼は在韓米軍撤退という自分の構想を実行に移すように命令した。
政府部内で真剣な討議もせず、また驚愕する韓国や深く憂慮する日本の反対を顧慮することなくそうしたのである。>
このいきさつを振り返ると、アフガン戦争やイラク戦争での手ひどい失敗を受けて、オバマ大統領が生まれるのと酷似している。オバマは北朝鮮が核開発を一時的にせよ停止すると約束すれば、在韓米軍の大幅撤退を厭わないであろう。それは朝鮮半島の安全保障上で危険だとする韓国や日本の反対を顧慮することなく行う可能性がある。
ふたたびカーターに戻るが、大統領命令には国務省も国防総省もあがなうわけにはいかない。したがって命令書にサインする前に様々な駆け引きが行われていた。
ブレジンスキー国家安全保障問題補佐官は「政府部内で、誰もが反対しています」と周辺の空気を伝えるとカーターは「私を支えてくれ。これは私の選挙公約の中でどうしても通したいものなのだ」と懇願している。
一方でブレジンスキーは「撤退政策は間違った決断であったかもしれないが、すでに決断がされたから、元に戻すことはできない」と政府部内に独自案で説得に回っている。
当初計画の6000人撤退の代わりに戦闘部隊800人プラス非戦闘員2600人を加えた一個大隊だけの即時撤退案を持ち出した。カーターは彼の面子を立てた修正案を渋々承認して発表されている。
カーターは怒りをブラウン国防長官に向けて、撤退計画を妨害したと激しく非難。ワシントンの混乱ぶりを、平壌にあって金日成は敏感にとらえている。以後、金日成はカーターと直接取引するため積極的な攻勢を強めてきた。
カーターの在韓米軍撤退構想は、最後には断念することになる。理論上は「彼は最高司令官としてサイン一つで在韓米軍引き揚げ命令を出すことができたのだが、そうはならなかった」とドン・オーバードーファーは回顧している。
現在の在韓米軍は、陸軍・第8軍、空軍・第7空軍、海軍・第7艦隊の韓国派遣部隊が韓国に展開していて、28500人規模の兵力を維持している。その規模は在日米軍の半分といっていい。
さらに作戦計画として次のようなものがある。(ウイキペデイア)
作戦計画5026:北朝鮮の核開発が問題になった1990年代に立案された作戦。核施設などをピンポイント爆撃する。
作戦計画5027:朝鮮人民軍が南下して全面戦争となった場合、米韓連合軍が積極的に攻勢にでて朝鮮半島統一を成し遂げる。
作戦計画5028:欠番とされている。
作戦計画5029:1999年に立案された作戦。北朝鮮が内部混乱に陥った場合に軍事介入を行う。
作戦計画5030:2003年に立案された作戦。軍事介入というより、クーデターなどを誘発させる諜報・工作作戦。
杜父魚文庫

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