米CNNによれば、古代エジプトの「最後の偉大な王」と呼ばれるラムセス3世は、最新の研究で王は喉を残忍な方法で切られて殺害されたことが明らかになったと衝撃的な報道を伝えた。
ラムセス3世に関する最新の研究は、英国医師会雑誌(BMJ)に発表された。またこの研究で、王の殺害を企てた妻とその息子も特定された。殺害を企てたのは王の息子のペンタウアー王子で、王子は裁判で有罪となり、その後自殺を図ったという。
ペンタウアー王子と見られる男性がミイラ化された際、ヤギの皮で体を巻かれているが、当時、王族を埋葬する際に儀式上不浄とみなされていたヤギの皮が使用されることはまれで、王の殺害を企てた罰として取られた措置と見られている。
<(CNN)古代エジプトの「最後の偉大な王」と呼ばれるラムセス3世の死因について、これまで蛇に噛まれたとする説や毒殺説など諸説が存在したが、最新の研究で王は喉を残忍な方法で切られて殺害されたことが明らかになった。
研究者によれば、王は複数いた妻の1人とその息子が王位継承を狙って企てた陰謀によって何者かに殺害されたという。
英国医師会雑誌(BMJ)に発表された研究結果によると、ラムセス3世のミイラに何重にも巻かれた包帯を除去した後、遺体をコンピューター断層撮影(CT)を使ってスキャンした結果、喉に鋭利な刃物によると見られる深い切り傷が確認されたという。王は、喉や首、複数の動脈を残忍な方法で切られ、即死だったとしている。
また1886年に包帯が除去された際にミイラの首の周りの襟に損傷は見られなかったことから、傷が死後に付けられたとは考えにくいという。
暗殺説を裏付けるもう1つの証拠は、「ホルスの目」のお守りが切り傷の中にあったことだという。このお守りが、傷から入り骨まで達した均質物質とともに切り傷の軟部組織の奥深くにあったということは、遺体の防腐処理がなされた時点ですでに傷が存在したことを裏付けるものだとしている。
またこの研究で、王の殺害を企てた妻とその息子も特定された。殺害を企てたのは王の息子のペンタウアー王子で、王子は裁判で有罪となり、その後自殺を図ったという。
ペンタウアー王子と見られる男性がミイラ化された際、ヤギの皮で体を巻かれているが、当時、王族を埋葬する際に儀式上不浄とみなされていたヤギの皮が使用されることはまれで、王の殺害を企てた罰として取られた措置と見られている。(CNN)>
ラムセス3世=エジプト第20王朝(紀元前1185年頃 – 紀元前1070年頃)は新王国時代の古代エジプト王朝。新王国の繁栄が終わりを告げ、古代エジプトが衰退し始める時代を統治した王朝である。ほとんどの王がラムセスと言う名を持っていることからラムセス王朝と呼ばれることもある。
このラムセス3世はしばしば「最後の偉大な王」などと呼ばれ、新王国が繁栄した時代を統治した最後の王であると見なされている。彼は自分と同じ名前の王ラムセス2世を手本とした統治を目指し、ラムセス2世の記念物を模倣した建造物や記念碑分を作らせた。
シリア・パレスチナへの遠征を記録した碑文やヌビア遠征の碑文がそれである。これらはいずれもラムセス2世の葬祭殿にあった文章を複写したもので、現実の戦争の記録ではない。ラムセス3世はこうした遠征を実際に行うことを夢見ていたかもしれない。しかし、彼の時代は打ち続く外敵の侵入で外征の余裕は無かった。
ラムセス3世の治世末期の内政問題のためか、治世末期にはラムセス3世の暗殺未遂事件が発生した。それはラムセス3世の妃の一人ティイが自分の息子ペンタウアーを王位に付けようとして計画したもので、賛同者が多数参加していた。
この陰謀は事前に発覚し、首謀者のティイを初め全員が逮捕されて裁判にかけられた。
この時の裁判記録が現存しており、それによれば裁判は3度に分けられて行われた。最初の裁判では7人の王家の執事、2人の宝庫長、2人の将軍、2人の書記、布告官1人の合計14人が、次の裁判で6人が、三番目の裁判でペンタウラー王子を含む4人が、4番目の裁判ではこれらの反逆者に供応した裁判官ら5人が罪に問われ、1人を除いて全員が有罪判決を受けた。
大半は死刑である。ティイ自身の裁判記録は残っていないが、間違いなく死刑となったであろう。
陰謀は未然に阻止されたが、ラムセス3世はこの裁判の最中に死去してしまう。最近、イタリアの研究チームが、ラムセス3世のミイラをCTスキャンで調査した結果、のどを覆う布の下に大きく深い切り傷が発見されたことから、ラムセス3世は鋭利な刃物でのどをかき切られて暗殺された可能性があることが分かった。ラムセス3世の死はエジプト新王国が覇者であった時代の終わりでもあった。(ウイキペデイア)
杜父魚文庫
11350 古代エジプト「最後の偉大な王」は喉を切られて殺害 古澤襄

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