カミサンは老眼鏡を沢山持っているが、ぴったり合うのは2つしかなく、職場と自宅に置いている。自宅用のお気に入りの老眼鏡のネジが外れてしまった、直してくれという。老眼鏡が使えないから自分では直せないのだ。ピンセットを使ってどうにか直してやった。
人は加齢とともに視力も落ちる。ある調査によると、日本人で眼鏡・コンタクトの両方または一方を利用している人は7割強、まったく利用していない人は3割弱である。多くの人がレンズで視力を矯正しているのだ。
東京メガネミュージアムによると、紀元前の古代から、ある種の石がレンズとして使われていた。現存する最古のレンズは、紀元前700年頃のニネヴェ(現在のイラク北方、アッシリアの古都)の遺跡から発見されている。
このレンズは研磨された水晶の平凸レンズで、用途は太陽熱を集めるためのものであり、視力を助けるためのものではなかった。
適度にカットされた光学レンズを使うと視力が助けられる可能性を最初に発表したのは、アラビアの数学者であり、物理学者、天文学者でもあったアルハーゼン(956頃-1038)だ。
13世紀の中頃になると、彼が書いた著書に触発されて各地で眼鏡の開発が盛んになり、視力を補う目的としての一番最初のレンズはリーディングストーンというもので、13世紀中頃にドイツで、ある修道士によって開発された。
それは石英または水晶でできた平凸半球型のレンズで、物体を拡大して見る現在の拡大鏡(ルーペ)のようなもので、 本の上に直接のせて使用されていたと思われる。
眼鏡が発明された時期は1285年前後で、その背景にはイタリアのベニス地方におけるガラス製造技術の発達がある。
眼鏡の日本への伝来は1551年(天文20年)、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル(1506-1552)が来日し、周防(山口県)の国主・大内義隆(1507-1551)に献上したものが、その最初とされているが、現物は残っていない。
また、室町幕府12代将軍・足利義晴(1511-1550)が所持していたという眼鏡が残っており、一部には、これが現存する日本最古の眼鏡のようだ。徳川家康(1542-1616)が使ったという眼鏡は静岡県・久能山東照宮にある。
これらの眼鏡はみな、手で持って見るタイプのもので、現在のように耳に掛けるタイプが出てくるのは、ずっと後になってからのことだ。
17世紀になると、西洋では眼鏡を紐で耳に掛けるタイプのものが出てき、この頃になると、今まで輸入品にたよっていた日本でも、長崎で初めて眼鏡が作られるようになった。
この頃になって、鏡を磨く人、つまり鏡師たちが段々眼鏡レンズなども磨くようになり、17世紀の終わり頃からは、眼鏡を売る店が京都、大阪、江戸に出店するようになる。ただ、眼鏡だけでは商売にならず、他の物と一緒に商売をしていた。
19世紀になると、諸外国でいろいろなタイプの眼鏡が作られるようになる。鼻に挟んで使用するパンスヌと呼ばれる鼻眼鏡(日本では吉田茂元首相が掛けていた)や、ヨーロッパの貴婦人たちが愛用したローネットと呼ばれる長柄手持ち式の眼鏡、また、現代の眼鏡にもあるが、耳に掛ける部分が巻きつるになっているタイプなども作られている。
冒頭のアンケートに戻ると、眼鏡・コンタクト利用者7割強のうちわけは、「眼鏡・コンタクト併用」28.1%、「コンタクトだけ」2.3%、「眼鏡だけ」42.1%であり、全体の7割は眼鏡を利用していることになる。外ではコンタクト、自宅では眼鏡といった使い方が多そうだが、日本人は眼鏡好きと言えるかもしれない。(頂門の一針)
杜父魚文庫
11367 13世紀に遡る眼鏡の歴史 平井修一
平井修一
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