20年以上も前のことになるが、大学時代の学友・松野勝治氏の案内で埼玉県日高市新堀にある高麗神社(こまじんじゃ)を見学したことがある。当時、私は信州・上田の真田一族のルーツに興味を持って、真田の高麗遺民説を調べていた。
平将門が関東で覇を唱えた軍事力は、これまでの日本馬とは違う足高の高句麗馬を使った疾走力によるという説に興味を持って、将門の根拠地めぐりをしたこともある。
松野氏に連れられて高麗神社を詣でたのは、高句麗の遺民が古代の関東地方に足跡を残していたことに興味があったからだ。それを三年前の杜父魚ブログに「鳩山一郎氏が参拝した”出世明神”と高句麗神話」として書いた。一部を紹介する。
<鳩山一郎氏が参拝した「出世明神」と高句麗神話 古沢襄 2010.05.08 Saturday name : kajikablog>
参拝すれば総理大臣になれるという「出世明神」が埼玉県日高市新堀にある。鳩山首相の祖父・鳩山一郎氏もこの神社を参拝した後に首相官邸の主になった。歴代の総理大臣では浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎氏らが参拝していた。政治家というのは”縁起”を担ぐところがあるらしい。
私も数年前に友人夫妻に連れられて参拝した。総理大臣になりたかったわけではない。高麗神社(こまじんじゃ)という名のこの神社は、古代日本と高句麗の関係を示す歴史遺産を遺している。高句麗の遺民が古代に関東地方に足跡を残していたことに興味があった。
千五百年近い昔の話になる。紀元前37年頃から668年まで、中国東北部(満洲)南部から朝鮮半島の大部分を領土とした高句麗という大帝国があった。朝鮮半島の南東部にあった新羅と中国の唐の連合軍によって滅ぼされた。
高句麗滅亡後、平安時代初期の815年に嵯峨天皇の命により古代氏族名鑑「新撰姓氏録」が編纂されている。そこに高句麗から渡来した氏族の名が四十一人出ている。>
「新撰姓氏録」・・・わが国は朝鮮半島の国家の興亡の歴史の中で、流民となった王族たちを受け入れ、同化政策をとった記録が遺されている。
高句麗滅亡後、平安時代初期の815年に嵯峨天皇の命により古代氏族名鑑「新撰姓氏録」が編纂されている。そこに高句麗から渡来した氏族の名が四十一人出ている。
詳しくは渡来人系の氏族を「諸蕃」と称して、326氏を出身地別に五分類してある。中国の、「漢」として163氏。朝鮮の「百済」104氏、「高麗」(高句麗を指す)41氏、「新羅」9氏、「任那」9氏が挙げられている。どこにも属さない氏族として117氏。
「高麗」41氏については、”高句麗王の末(一族)か?”として、高麗、難波、大狛、黄文、長背、豊原、桑原の姓が出ている。最初に高句麗の遺民たちが海を渡って日本に渡来したのは佐渡島だという説が有力である。
高麗神社の案内板には「霊亀2年(716)5月、甲斐、駿河、相模、上総、下総、常陸、下野7ヶ国から高句麗人1,799人を武蔵国に移し、高麗郡を創建した」と続日本紀の記載を引用して、高麗郡の長となった高麗王・高麗若光の神霊を祀り、高麗神社と称したと創建の由来を伝えている。
高句麗はツングースの騎馬集団が南下して作った国家といわれる。古くはツングースの粛慎族で、高句麗にきた者を靺鞨(まつかつ)族と呼んでいる。高句麗の建国神話では、始祖・東明(とうめい)王は、扶余国の王族の出だということになっている。
この高句麗と百済は、中国の唐と結んだ新羅によって滅ぼされた。660年百済が滅び、668年に高句麗は滅亡している。その唐も907年に滅び、935年に新羅を滅ぼして高麗が朝鮮半島の統一を成し遂げている。高麗の太祖は王建、後高句麗の将軍だったというが、2007年に中国の研究員から朝鮮に移住した漢人の末裔という新説が出されている。
天皇家のルーツで、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫(続日本紀)だと大きく取り上げられたのは平成13年(2001)。天皇誕生日前に恒例となっている記者会見において、今上天皇は翌年に予定されていたサッカーワールドカップ日韓共催に関する「おことば」の中で、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。
武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。」との発言を行った。
このこと自体は、古代日本史ですでに明らかにされていたが、生母の高野新笠は百済系渡来人の武寧王から10代目であり、しかも六代前に日本名(和氏)にして帰化もしていることから、さして大きな新発見ではない。
そもそも和氏が武寧王の子孫であるかどうかも学術的に少なからず疑義を持たれている。また高野新笠の生年ははっきりしない。没年は西暦789年とされるから、百済王勇から1世紀ほど後の人である。
しかし韓国では天皇発言が大きな反響を呼び、「皇室は韓国人の血筋を引いている」「皇室百済起源論」「日王が秘められた事実を暴露」など例によって我田引水的な報道が行われた。
日本人のルーツについては、むしろシベリアのバイカル湖周辺のブリヤート・モンゴル族が、氷河期にマンモスの移動を追って渡来したことが、縄文人とブリヤート人のDNA鑑定で立証され、朝鮮半島からの渡来民の血脈は少ないとみる方が正しい。
古代朝鮮の渡来民の血脈は、古代日本人との同化によって薄められてきたとみるべきであろう。そもそもが現在の韓国人と古代朝鮮族の関係が一致するものではない。高句麗と同根といわれる古代百済は唐・新羅連合軍によって、完全に断絶させられいる。今の韓国人とは関係のない国家とすべきであろう。
杜父魚文庫
11399 「皇室百済起源論」の捏造説 古澤襄

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