日本の政治・経済がもう少し安定期に入れば、フランスの人口学・歴史学・家族人類学者のエマニュエル・トッド (Emmanuel Todd, 1951年5月16日 – )の分析がもっと興味を持たれ、論じられる日がくるのかもしれない。
トッドは2002年に『帝国以後』を発表、世界的なベストセラーとなった。
ユダヤ系フランス人のトッドは、パリ政治学院を卒業後、イギリスのケンブリッジ大学で人口統計による定量化と家族構造に基づく分析を研究している。
1976年に最初の著作「最後の転落」で、10年から20年後にソ連が崩壊すると人口統計学的な手法で予言している。1991年のソ連崩壊を15年前に予言したのだから世界は驚いたが、当時はベトナム戦争でソ連が支援した北ベトナムが勝利した後だったからソ連の崩壊などは論外、妙な予言者扱いで忘れられている。
トッドのソ連崩壊論は、ロシア人女性が識字率上昇の後に出産率が下がるという人類の普遍的傾向に従って近代化していると指摘し、体制が最も弱い部分から崩れ始めたと主張した。
女性の識字率と出産率を組み合わせた分析はユニークである。また労働党社会主義とはイギリスの労働党が典型であり、社会の変革を望まず、階級としての労働者を維持するもの、自由孤立主義はイギリスの栄光ある孤立やアメリカのモンロー主義を指すとしている。
トッドは家族構造と人口統計に基づいて世界を認識する手法をとっている。このため、サミュエル・P・ハンティントンの『文明の衝突』を全くの妄想と見なしている点もユニークである。
トッドは、イスラム圏で着実に識字率が上がり、出産率が下がっていることを示し、イスラム圏はむしろ西欧に近付きつつあることを指摘した。
この近代化の過程では必ず伝統の崩壊による混乱が生じるのであって、イスラム圏は現在この移行期危機を経験しているに過ぎず、他の地域と本質的な違いは無いと述べた。また、世界の歴史は主に先進国で形作られるのであって、イスラム圏はそもそも最重要の地域ではないとまで言い切っている。
またハンティントンは、日本は単独で日本文明を構成し、現在は西欧文明に従っているが、いずれ中華文明に従うだろうと予想した点も批判している。
トッドは家族構造の研究を通じて、日本が非常にヨーロッパ的であり、特にドイツやスウェーデンに近いことを見出し、ハンティントンの日本特殊論を否定した。つまり日本がヨーロッパと同類であるという確信に立っている。
日米欧は世界経済の三極であるが、ヨーロッパ経済の中心はドイツであり、社会的、長期的、工業的である点で日本経済とよく似ている。
これに対しアメリカ経済は個人主義的、短期的、脱工業的であり、資本主義の形態が異なる。また日欧は長い農業の歴史を持ち、資源の希少性を十分に認識しているが、アメリカは技術を持った人々が未墾の土地に作った社会であり、資源の希少性に一度も直面していない。
トッドはこれらから、特殊なのはアメリカであって、真の文明の衝突は旧世界と新世界の間で起きており、現在の問題は日欧の連係の弱さにあるとした。この点で、欧米を一つの文明にまとめたハンティントンを根本的に否定している。
「特殊なのはアメリカ」という説は面白い。西欧的だったアメリカが、いまや白人層よりも黒人やヒスパニック層が多数となった。オバマ再選は、このような人口構造の変化を投影している。新しいアメリカはどのような方向に動くのであろうか。
さらにトッドの面白いのは、日本への核武装を提言したことである。トッドによれば「核兵器は偏在こそが怖い。広島、長崎の悲劇は米国だけが核を持っていたからで、米ソ冷戦期には使われなかった。
インドとパキスタンは双方が核を持った時に和平のテーブルについた。中東が不安定なのはイスラエルだけに核があるからで、東アジアも中国だけでは安定しない。日本も持てばいい」と述べている。
日本が核兵器を持った場合に派生する中国とアメリカと日本との三者関係については、「日本が紛争に巻き込まれないため、また米国の攻撃性から逃れるために核を持つのなら、中国の対応はいささか異なってくる」との見通しを出したうえで、「核攻撃を受けた国が核を保有すれば、核についての本格論議が始まり、大きな転機となる」と指摘した。
2010年、日本経済新聞のインタビューでは、日本と中国との不均衡な関係に対して、ロシアとの関係強化を提言した。
「日本は非核国なのに対して中国は核保有国です。経済でも日本は高い技術力を持つ先進国なのに比べて、中国は輸出や生産の規模は大きいが技術力は低い。日中両国は、均衡が取れていません。
不均衡な関係は危険です。実際、中国は国内の不満をそらすために反日ナショナリズムを利用しています。中国をけん制するには、地政学的に見てロシアとの関係強化が有効なのです」。
核アレルギーが強い日本では、受け入れ難いトッド提案なのだが、ソ連崩壊の予言と同様に2,30年後には核武装論が日本でも論じられるのかもしれない。(ウイキペデイアから抜粋)
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