海上保安庁の巡視船の操船の見事さに舌を巻いたことが、二度ある。
一回目は、平成九年秋、尖閣に向かおうと宮古島から出港した時だ。いよいよ湾から外海に出たところで、我が船の進路を塞ぐために遙か彼方に姿を現した巡視船を見て、あの船を突破するのは無理だと観念した。
もっとも、この時は、五月の魚釣島への上陸を目的とした深夜の出港ではなく、真っ昼間の出港で、北京を訪問している我が国の総理大臣と中共首脳との首脳会談に重大な圧力をかけることが目的だったので、我々の10数㌧のボートが、海保やマスコミの固定翼機と回転翼機複数機と巡視船と巡視艇合計五隻ほどを引きずって外海に出ることでその目的を達したと判断できた。
不思議なことに、東シナ海のまっただ中の波にゆられる小さい船の上にいて、今まさに北京の総理大臣の心理に重大な圧力を与えていると実感した。
次に舌を巻いたのは、それから数年後の北海道の釧路、帯広沖の冬の氷点下の漁場だ。韓国漁船が我が国の良好な漁場を略奪的な漁法で荒らし回っていると聞いて、地元の漁船に乗せてもらってその状況を視察に行った。
その時、韓国漁船に接近して見守っている私が乗っている漁船の右舷前方から巡視船が高速で一直線に接近してきて我が漁船を通り過ぎたと思ったら、後方で270度ほどターンし、次に我が漁船の左舷後方から前方に走り去ったのだ。
双眼鏡でその巡視船を眺めていた私は、接近してくる巡視船の右舷に五名ほどの士官が並んで我が漁船に敬礼してくれているのを見た。
彼等は、我が国の漁場を護ろうとして視察に来ている我々に敬意を表してくれたのだ。以上が、私が海の上で実感した我が国の巡視船の見事さだった。
その巡視船が、現在、尖閣諸島周辺で、連日、中共の漁業監視船や資源調査船と称する「公船」(実は駆逐艦に近い)を、我が国の接続水域や領海で併走して牽制している。
その映像を観る度に、いつも思う。巡視船に併走されている支那人たちも、我が巡視船の見事さに圧迫を受けているはずだ、と。
では、反対に、我が巡視船は、支那の「公船」から圧迫を受けているのだろうか。この疑問に対して、少し参考になる情報を得たので次に書いておく。
我が巡視船は、支那の公船と併走しながら、克明に双眼鏡で彼等を観察している。そして、彼等が我が巡視船では考えられない行動、つまり日本人では考えられないことをしているのを確認している。
彼等支那人は、長い間の航海に疲れているのだろうか、併走されている船の甲板に座り込んで何かを食べたり寝そべったりしているという。
さぞかし、その船内はゴミだらけでトイレも汚いことだろう。
このことを聞いて思い出したのは、百十八年前の日清戦争で捕獲した当時の世界の巨大戦艦である清国の定遠と鎮遠の汚さだ。便所には汚物が山のように溢れていたという。
また、海上自衛隊幹部からも、次のような話を聞いた。中共海軍が、インド洋に出はじめたが、シンガポールなどの大都会の主要な港に入るのを回避しているという。何故なら、水兵を上陸させたら、一定数、船に帰ってこないかららしい。
日本人も昔と変わらないなら、支那人も昔と変わらない。
その変わらない支那が、いよいよ、我が国が戦後から脱却する切っ掛けを提供する事態が近づいている。参議院選挙までに、その事態が訪れるように思える。現場の日本人は、自信をもって対処する。日本人は、昔も現在そうであるし、将来も変わらない。
杜父魚文庫
11435 海上保安庁巡視船と昔と変わらない支那兵の姿 西村眞悟

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