11441 毛沢東=中共の暴虐史 平井修一

中共政権下の中国には史実に基づく歴史が公表されていない。中共にとって「不都合な真実」は全て伏せられ、1989年の天安門事件さえも隠蔽されている。現在、中国では、汚職、腐敗にまみれた改革開放路線への反発から「毛沢東時代が良かった」という人々が少なくない。彼らはその時代に何があったのか、ほとんど知らないのである。
事実はどうであったのか。反中共紙「大紀元」社説シリーズ『共産党についての九つの論評』(九評)から毛沢東=中共の暴虐史をまとめてみた。
■序文
暴政と言えば、中国人は秦の始皇帝による苛政を連想する。「虎狼の秦」と比較しても、共産党の暴虐は勝るとも劣らない。共産党の哲学は闘争の哲学であり、共産党の統治も「階級闘争」「路線闘争」「思想闘争」で作り上げたものである。
毛沢東は「始皇帝など取るに足らない。彼は460人の儒学者を殺し、私達は4万6千人の儒学者を殺した。人は私達を独裁統治だと、始皇帝のようだと罵るが、それも認める。しかしながら、それでは言い足りてはいない。言ってみれば、それどころではないのである」と率直に言った。
共産党統治下の中国の苦難に満ちた55年を振り返ってみよう。中国共産党が政権を奪い取った後に、いかにして政府の構造を利用し、階級闘争の理論で階級を絶滅させたのか、また、どのように暴力革命の理論で恐怖の統治を実行したのか。
中国共産党政権の成立から55年間の歴史は、血と嘘で記された歴史である。その流血の裏にある事実は、残酷非道であるばかりでなく、ほとんど世間に知られてない。中国人の6千万ないし8千万もの罪のない人々の命が犠牲となり、更に多くの家庭が迫害された。
「人を殺し」「心を殺す」ことで、共産党以外のすべての信仰を弾圧して、自らを美化した。共産党の階級闘争と暴力革命の理論によって、反体制の社会階級と異分子を粛清し、それと同時に暴力と欺瞞により、中国人民を専制支配下の従順な民としていった。
■土地改革――「地主階級消滅」
建国してわずか3ヶ月後、共産党は全国一斉に土地改革を展開して、「耕す者に土地を与える」というスローガンを掲げ、耕作地を持たない小作農に地主との闘争を煽り、手段を選ばず、放縦に任せ、道義性などは無視した。
そして、土地改革路線の中で、明確に「地主階級消滅」を謳い、農村で階級区別を行い、全国に身分(階級制度)を設け、2千万人に「地主、富農、反革命的分子、悪人」のレッテルを貼り付け、社会的に差別し、弾圧し、公民権さえない「賤民」とし、10万人近くの地主の命を奪った。
土地を得た小作農にとって、「耕す者が土地を得る」という状況は、長くは続かなかった。2年のうちに共産党は、農業従事者に互助組、初級合作社、高級合作社、人民公社などを強引に押しつけた。
更に居住登録制度を設け、農業従事者が都市へ出て働き、居住することを禁止した。中国3億6千万の農村戸籍所持者は、二級の公民とされたのである。
■商工業の改造――資産階級の消滅
もう1つの消滅させられた階級は、都市と農村の民間資産階級である。商工業改革で共産党は、“資産階級と労働階級は本質的に不一致だ。1つは搾取階級、1つは搾取される階級である。
資産階級の搾取は生まれついてのものであり、死しても変らず、消滅させることはできても、改造することはできない”と公言した。この前提で、資本家と商人に対する改造は更に重くなり、「殺人」と「心を殺す」二つの方法が併用された。
屈辱に耐え切れず自殺した人も多数いる。当時の上海市長・陳毅は、「今日はどれだけのパラシュート兵がいたか?」と毎日尋ねていたという。つまりどれだけの資本家が、飛び降り自殺したのかという意味である。このように、中国共産党は私有制を一気に消滅させた。
■反右派運動――全国規模の洗脳で手下にする
毛沢東は1957年、中国で「百花斉放、百家争鳴」をスローガンに、中国の学者と大衆に「共産党の整風(綱紀粛正)を助けよう」と呼びかけた。その意図は、「党に反対する者」を引き出すことであった。毛沢東は、各省の党委員会書記への手紙の中で、整風を言いつつ「蛇を穴から引き出す」という意図を伝えていた。
その時、人々に自由に発言させるために作られたスローガンがある。「弱点につけこまない、打撃を加えない、帽子(レッテル)をかぶせない、後から追求しない」。結局、一度の反右派闘争で55万人の「右派分子」が確定した。27万人が公職を失った。23万人が「中右分子」と「反党反社会主義者」と決められた。
こうして、一部の学者は日和見的となり、権力になびく二重人格となった。常に「赤い太陽」に追随して、共産党の「御用学者」となり、中共の言われるままとなった。他の学者は、孤高を保ち、政治からは距離を置いた。国家に対して、伝統的に強い責任感を抱いていた中国の知識人たちは、それ以来沈黙を続けている。
■大躍進――集団嘘の大爆発
反右派運動の後、中国は事実を恐れるようになった。嘘に耳を傾け、出鱈目な話をでっち上げ、デマと偽りの行為で真実を避け、覆い隠していた。大躍進は、全国範囲の集団嘘の大爆発であった。全国民は、共産党という邪霊の導きに従い、馬鹿げたことをするようになった。
嘘をつく者も騙される者も、自らを欺き人をも騙すようになった。この嘘と愚行の中で、共産党の暴虐な邪気は、全国民の精神にまで入り込んでいった。それによって深刻な大飢饉となり、餓死者が野に溢れ人民は生きた心地がしなかったのである。
誰もが毛沢東の大躍進は荒唐無稽で、独断専行だと知っていた。 しかし、毛沢東を支持するかどうかは、「忠」と「奸」を分ける生と死の境界線であった。
■文化大革命――天地が逆転する
文化大革命は、共産党という邪霊が全中国に取り付いて起した大事件であった。1966年から中国大陸を暴虐の嵐が襲い掛かった。赤色恐怖が荒れ狂い、山は震え、河は凍えた。作家の秦牧はかつて、中国の文化大革命を次のように絶望的に表現している。
「これは本当に前例のない大災害だ。数百万人が巻き添えになり、数百万人は恨みを持ったまま死に、多くの家庭はばらばらに崩れ、少年たちは悪辣な浮浪者になり、書籍は焼かれ、名所旧跡は破壊され、先賢の墓は暴かれ、革命の名の下で罪悪が行なわれていた」。
控え目にみても、文化大革命中の虐殺被害者は773万人に達している。
1966年8月、北京紅衛兵は「送還」を名目に運動を展開、悪人、右派、資産家、反革命とみなされた者を、強制的に北京から農村へ追い払った。
政府の不完全な統計でも、当時3万3695戸の北京市民が家財を差し押さえられ、8万5196人は本籍所在地に戻された。この手口は急速に全国の大都市に広がり、40万人の都市住民が農村へと送還された。地主出身の共産党幹部の親でさえ、免れることがなかった。
文化大革命中の暴力、殺戮に関する重大事件は、すべて国家機関の行為であり、共産党の指導者による暴力迫害を放任し、利用した結果、庶民が惨殺されたのだ。
人々はその時に熱狂的に興奮するか、あるいは無感覚になるかで、完全に共産党の邪霊にコントロールされていた。嘘を捏造し、嘘を我慢し、嘘に頼ることは、すでに中国人の生活方式になっていた。
■全国規模の洗脳
共産党統治の残酷さは、肉体に対するものだけではない。人間独自の判断能力を奪い、または独立な見解を持っていても発言できなくし、「国民を生活の平穏さのみを求める弱者」にすることに重点がある。
社会の一人一人を洗脳することにより、共産党と同じことを思い、同じ話題で話し、共産党の思うままに操られる。あることわざのように、「共産党の政策は月と同じで、一日と十五日は形が違う」とあるが、政策が目まぐるしく変わったとしても、人民はそれに追随しなければならない。
55年に及ぶ暴虐的な統治を経験した今日の中国人は、思想面で「地面に丸を書いて牢とする」状態にあって、共産党が規定した固い枠にはめられているとも言える。枠より少しでもはみ出れば、命の危険に曝される。数多くの革命・運動の後、中国では愚昧が知恵とされ、忍ぶことが生きていく為の術となっている。
このように共産党の馬鹿げた、残酷、卑怯な洗脳は、あらゆる面に満ちている。それが中国社会の価値観を倫理道徳観念の根底から壊し、中華民族が古来有していた行動基準と生活方式を崩した。共産党は、自分たちの思想に唯一の正当性を与えるために、国民に対して、肉体と精神面での侵害を絶えず行ってきたのである。 ・・・
中共が存続する限り、自由、民主、人権、法治はもたらされない。史上最大の悪の帝国を一日も早く崩壊させることが世界の使命である。(頂門の一針)>
杜父魚文庫

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