日本胸部外科学会など心臓外科関連の3つの学会で作る心臓血管外科専門医認定機構(以下、機構)は、心臓血管外科専門医の資格を更新するための審査を行った結果、2009年からこの5年間の資格剥奪者が、実に合計600名を越えることが確実となった。
機構は、2004年から毎年、一定の手術実績などを基準に、心臓血管外科医に対し専門医の資格を与えるとともに、2009年からは、資格を取得してから5年を経過した専門医に対して、資格を更新する実績を積んでいるかどうかを審査している。
この結果、昨年の審査で13名の専門医について、専門医資格の更新をしないことを決め、その資格を剥奪した。さらに、今年、25名が専門医の資格を失う見通しとなった。これによって、この5年間に資格を剥奪された専門医は600名を越え、608名となることがわかった。
資格更新の審査は、決められた学会への出席回数、論文の数、手術実績などが決められた数に達しているかなどで判断されることとなっているが、とりわけ問題なのは手術実績だ。
専門医となってから「5年間に100例の手術を経験していること」が資格更新の絶対条件とされている。5年間で100例、ということは年間平均20例、つまり月に1~2例の手術をやっていれば資格を更新することが出来る。
国やベテランの心臓血管外科医は、手術に必要な技術力を維持し、安全な手術を行うためには年間少なくとも100例の手術を毎年こなし続ける必要があるとしている。
このことを考え併せると、年間平均20例というのは資格更新の基準としてはいかにも甘すぎる。これは人の心臓にメスを入れる専門医の資格更新のハードルというより、水溜りをひょいと超えるような軽いものだ。にもかかわらず、600名もの多くの専門医がこれをクリアできなかったことが明らかになったのだ。
ということは、この600名を超える心臓外科医は「専門医」という看板を掲げて、素人に毛の生えたような未熟なウデで心臓にメスを振るってきたことになる。
振返ると、機構が専門医制度を始めたのは2004年のことだが、当初から専門医資格取得条件を「手術実績20例」としていたため、ベテラン医師からは、「危ない。この程度の手術経験しかない医者を専門医と認定するようでは、医療事故が起こる」という批判が絶えなかった。
そして案の定、制度発足直後、同じ病院(東京医科大学)で未熟な専門医が手がけた手術で、4人の患者がつぎつぎと死亡する“事件”が、内部告発で明らかになった。この外科医の年間症例数は40例に過ぎなかった。
このため、機構は専門医認定に必要な手術症例数を「数年間で50例」と引き上げたものの、業界の常識とも言える「年間100例」という基準には遠く及ばない。受験者に“優しい”ものだった。
欧米(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ)、オーストラリアでは専門医は年間150例から250例の手術をしている。日本は世界各国に較べても認定基準が甘すぎるのだ。
その結果、専門医の数は年々増え続けた。専門医制度が発足した2004年、1453名だったものが、昨年(2012年)には1816名となった。毎年数十名から数百人の資格を剥奪しているものの、その一方で低いハードルをクリアした“新人”専門医がぞくぞくと誕生しているからだ。
日本で心臓手術が必要とされる患者は6万人と言われるが、専門医は1816名(2012年現在)。単純計算すると、専門医一人当たりの手術症例数は33例に過ぎない。要するに、産婦人科や小児科などで深刻な医者不足が問題となっているなかで、この分野だけは患者の数に比べて専門医の数が異常に多すぎるのである。
心臓血管外科の執刀医には、脳神経外科と並んで、高度で微細なテクニック(手技)が要求される。鉛筆の芯ほどの微細な何本もの血管を髪の毛より細い糸ですばやく縫い合わせる高度な(縫合)技術は、心臓血管外科外科医にとって基礎的だが必須の技術である。
この技術をマスターするのは容易なことではない。少なくとも数百例の手術経験を積んではじめて習得できるといわれる。しかも少なくとも年間100例という実績を重ねていかなければ、そのスキルを維持できない。
にもかかわらず、年間平均20例というハードルの低い資格更新審査もクリアできない多くの “えせ専門医”が野放しになっている。
手術を受ける年間6万人の患者の命を常に危険にさらし、未熟な専門医の手術によって人知れず犠牲者が出ているのではないかという懸念を裏付けるものだ。機構の幕内晴朗元代表幹事(聖マリアンナ医科大学病院長、心臓血管外科教授)は「東京医科大学“事件”のようなケースがないとは断言できない」という。なんぼなんでもとは思うが「何とかに刃物」状態では?—という言葉が浮かぶ。
数に限りある患者を、多過ぎる心臓血管外科専門医と中小の病院が奪い合う構図が浮かび上がってくる。この渦中に巻き込まれる患者はたまったものではない。なかには、カテーテル治療などの内科的な治療法でも治る患者まで、手術室に引きずり込んで外科医がメスを振るうというケースもある、と噂されている。恐ろしいことだ。
「神の手」を持つといわれる現役バリバリの心臓血管外科外科医、東京ハートセンター(東京・品川)の南淵明宏センター長は「年間の手術20件なんてチャンチャラおかしい。こんな専門医を送り出す専門医認定機構は、詐欺みたいなもので、患者にとっては百害あって一利なしだ」と切って捨てる。
南淵医師は「(助手を勘定に入れても)日本で必要な実数は500人程度」と言い切っている。もっと厳しい見方をすれば、現実は専門医1800名余のうち、毎年100例以上の手術を執刀する、プロと呼べる外科医は100人ほどに過ぎないという。
毎年数百例を手がける天皇陛下の執刀医・天野篤順天堂大学教授や南淵医師クラスの名医となると、20名ほどに過ぎないという。毎年、専門医資格を更新しているといっても、心臓病患者はよほど慎重に医師や病院を選ばない限り、知識も技術も未熟な危ない専門医の手にかかる危険な状況であることに変わりはない。
心臓や血管の疾患は、高齢社会の宿痾とでもいうべき病である。筆者は、昨年はじめ「多過ぎる専門医」がはらむリスクについての特別リポートを、本紙で明らかにしたが、状況は一向に好転していない。
心臓関係の学会は「医者の、医者による、医者のための仲好しクラブだ」という批判も聞こえてくる。機構は自浄能力を失っている。ならば、世論に期待したいところだが、少なくとも大手マスコミで資格認定制度や更新制度とこれがもたらすリスクをまともに取り上げたところはなかった。
各社の医療担当記者の奮起を熱望する。(頂門の一針)
杜父魚文庫
11494 心臓外科医600人の専門医資格を剥奪 石岡荘十

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