11678 「強い日本」だけではわからない  岩見隆夫

三十二年も前だから昔のことになるが、『毎日新聞』紙上に〈演説はどこへ─一つの政治分析〉というタイトルの連載記事を書いたことがある。政治家の演説軽視、演説不作が言われたころで、なぜか、を探るのが狙いだった。
多くの人に取材したが、印象に残っている一人が麻生太郎さん、当時、衆院当選二回、自民党青年部長、四十歳の若手である。祖父吉田茂元首相の演説について、麻生さんは言下に、
「ああ、もうへただね。彼は政治家じゃない。たとえばね、総理大臣の所信表明なんていうのは、普通あらかじめ読むわけよ。彼は読まないんだから。……吉田はそう、あの時代に適しとった戦時向きの指導者、平時のいまならアウトです」
と切り捨てた。とはいえ、吉田さんにはウイットあり、毒舌、暴言ありで、吉田語録が政治史を彩っている。さらに、麻生さんはこんな話をした。
「少々給料が安くても、いまは仕事が面白けりゃやる。となると、必然的に演説の内容もある程度笑いが入ってくると人は聞く。一つはホンネを言うこと。いまはタテマエばかりだから。結果的にそれを破ったのは漫才だと思うんだ。ブスとかババァとか弱者をスパッとつく。国民はウワッとくる。ホンネの面白さ。あれを言う勇気が政治家にないと演説はだめじゃないか。復権できない」
カギの一つはホンネの演説。演説ではないが、先日、麻生副総理が、
「さっさと死ねるようにしてもらうとか。チューブの人間がいい加減死にてえなあと思っても、『とにかく生きられますから』なんて生かされたんじゃあ、かなわない」(一月二十一日、社会保障国民会議の席で)
などと言い、物議をかもして撤回したのも、ホンネ発言とみていいのだろう。
ところで、安倍晋三首相が一月二十八日、初の所信表明演説をした。何を語るか、期待していただけにがっかりだった。麻生さんの昔の話を思い起こしたのも、安倍スピーチは残念ながら胸に沁みてこない、面白くないからである。冒頭で、
「国家国民のために再びわが身を捧げんとする私の決意の源は、深き憂国の念にあります……」
と述べたのはいかがなものだろうか。〈憂国〉はホンネかもしれないが、トップリーダーが自ら口にすることだろうか。直接話法で言わなくても、国民の側が自然に感じ取る性格の言葉ではなかろうか。
 ◇安倍さんの〈憂国〉とは? 首相は言語力を磨いて
あとは、〈危機〉の羅列だ。前もって〈危機突破内閣〉と宣言した手前かもしれないが、スピーチでは、日本経済、震災復興、外交・安全保障、教育のすべてを〈危機〉という同じ二語で片づける大ざっぱさには、耐えがたいものがある。〈危機〉を使うこと、通算十四回に及んだ。
いま、国民がもっとも危機感を抱いているのは、尖閣諸島をめぐる中国の軍事的脅威と内からは放射能被害の脅威である。ところが、安倍スピーチには、〈尖閣〉〈中国〉〈原発〉の言葉がどこにもない。肝心の差し迫った危機に対する安倍さんのホンネがわからないのだ。
あれほど力んでいた〈憲法〉もパスである。安倍さんは一月十八日、ジャカルタでインドネシアのユドヨノ大統領と会談した際、「憲法を改正し、国防軍を保持することはアジアの平和と安定につながる」との考えを伝え、大統領は、
「完全に合理的な考えだ。防衛力を持った日本は地域の安定にプラスになる」と賛意を表明した、と一月三十日付の『産経新聞』が報じた。ベトナムとタイの首相には集団的自衛権の行使を容認する方針を伝え、異論はなかったという。
もしそういうことなら、外国の首脳に話した重要問題を、なぜ国民向けの所信演説で語らないのか。メディアが伝えるように、夏の参院選までは経済再生一点に絞り、世論の反発が予想される安倍カラーは封印する〈安全運転〉でいく、というのが事実だとしたら、民主党のバラマキ政策は笑えない。ともにポピュリズム(大衆迎合)政治に陥っているからだ。安倍さんの〈憂国〉とは何だろう、ということになる。
安倍スピーチは、「『強い日本』を創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です」
で締めくくられていた。六年前、最初の安倍演説は「美しい国、日本」と訴えたが、こんどは「強い」。それに異存はない。だが、いずれも幅の広い形容詞で漠然としている。かえってインパクトが薄い、と私は思う。
言葉は聞く人によって受け取り方が違うからむずかしいが、特にトップリーダーは言葉によって国民と心を通わさなければ、政治は正常に機能しない。首相は言語力を磨いてほしいのだ。
麻生さんが言うホンネの演説は大賛成だが、それをどんな言葉で語るかも問われる。麻生首相の初の所信表明演説(二〇〇八年九月二十九日)は好評だった記憶がある。
麻生スピーチの冒頭部分には、「申し上げます。日本は、強くあらねばなりません。強い日本とは、難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層の飛躍を成し遂げる国であります。……」
という文句があった。同じ「強い」でも、こういう言い方もある。官僚でなく、麻生さんが直接筆をとった部分だろうと思う。
首相演説は事前に閣議決定される。麻生副総理兼財務相も安倍演説を読み、サインしなければならない立場だが、どんな読後感を持ったのか、一度聞いてみたいものだ。
最初に書いたように、政治家の演説軽視・不作はいまに始まったことではなく、政治の劣化と深くかかわる。理由はいくつもあるが、確実に言えることは、官僚に任せるのでなく政治家自身が言葉を吟味し、文章を練り上げる習慣がいまは乏しい。かつては、それがあったのだ。(サンデー毎日)
杜父魚文庫

コメント

タイトルとURLをコピーしました