11687 総理の「決断の欠落」か「法の欠落」か  西村眞悟

この度のアルジェリアにおけるテロに関して、何が欠落していたのか。それを「決断の欠落」か「法の欠落」かの観点から視ておく必要がある。
 
一月十六日のテロリストの襲撃から、二十五日の日本人十人全員死亡確認とご遺体帰国までの間においても、「自衛隊法改正」の必要性がマスコミに現れていた。つまり、「法の欠落」を指摘したものだ。
その間、安倍内閣の総理と官房長官の発言で一番多かったのは、「人命最優先」と「情報収集に努める」だった。
安倍総理は、アルジェリアの首相に電話して、「人命最優先で、攻撃を中止して欲しい、米英の支援を受けるべきだ」と要求した。
他方、イギリスのキャメロン首相は、攻撃開始を察知して、アルジェリア首相に、「何かすることはないか」と問い合わせている。必要ならば直ちに特殊部隊を送ろうとしたのだろう。
 
では、安倍総理のアルジェリアへの発言の中に、キャメロン首相と同じ、「何かすることはないか」が、何故無いのか。
それは、イギリスのキャメロン首相は、必要ならば何時でも救出部隊を送ろうとしていたのに対して、安倍総理の方は、救出部隊を送ろうとする発想自体が無かったからだ。
従って、総理も官房長官もよく言った「情報収集に努める」とは、自ら救出行動を開始するための「情報収集」ではない。マスコミと同じ「広報」のための情報収集に過ぎない。
または、言い訳の為。つまり、「イヤ、知っていましたよ」と言うため。そして、マスコミにも政府にも、習志野の特殊作戦群をアルジェリアに急派しろという発想は皆無だった。
それ故、まさに、テロリストをアルジェリア軍が攻撃している最中に「法の改正」論が持ち上がっていたのだ。
しかし、このように、我が国が朝野を挙げて、アルジェリアに特殊部隊を送れないのが当然とする中で、果たしてその原因は、「法の欠落」の故なのであろうかと問いたい。
私は、そうではない。それは、「戦後政治の発想の欠落」そして「総理の決断の欠落」が原因だと思う。
それを説明するため、次に、ほぼ同時期にテロと遭遇して対処した三人の総理を紹介する。彼等は、全員、「法の欠落」のなかで「総理の決断」をした。
テロ発生順に、
イスラエルの女性首相ゴルダ・メイヤ(1972年9月)、
西ドイツの首相ヘルムート・シュミット(1977年9月と10月)、
そして我が国の福田赳夫首相だ(1977年9月)。
まず、ミュンヘンオリンピックにおいてイスラム過激派は、イスラエルの送り込んだオリンピック選手11名を人質にとり、イスラエルが拘束している二百数十名のパレスチナ人の釈放をイスラエル政府に要求する。
そして、イスラエル政府が要求に応じないとみるや、人質を殺害して逃走した。彼等は、ブラック・セプテンバー(黒い九月)と名乗るテロリストだった。
このテロ攻撃に対して、イスラエルの首相ゴルダ・メイヤは、「私は決断しました」と閣僚に告げる。即ち彼女は、パレスチナ過激派の基地の空爆と、ブラック・セプテンバーの首謀者とメンバー全員の殺害を命じた。
そして、イスラエル空軍は過激派基地数カ所を空爆し二百人を殺害し、首相直轄の特殊諜報機関であるモサドから選抜された数名の工作員は、ヨーロッパ各地でブラック・セプテンバーの居場所を突き止め、突き止めるやそれを殺害し、ついに首謀者も殺害する。
1898年生まれのゴルダ・メイヤには、一人のユダヤ人を守らなければ、全てのユダヤ人が再び強制収容所に送られることになる、ブラック・セプテンバーを見逃すことは、イスラエルを滅ぼすことにつながる、という信念があった。
5年後の1977年9月、ドイツ赤軍(RAF)は、ケルンで西ドイツ経営者連盟会長を誘拐し、テロリストの釈放を要求した。しかし、西ドイツ政府は赤軍の要求に応じなかったので失敗する。(この全く同じ時期、日本赤軍がダッカハイジャック事件を起こす)
ドイツ赤軍は、誘拐テロが失敗したため、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)に応援を求め、PFLPは、日本のダッカハイジャック事件の二週間後の同年10月にルフトハンザ機をハイジャックしてダッカと同じ要求即ち凶悪テロ犯の釈放と巨額の身代金を要求する。そして、ソマリアのモガジシオに着陸して、西ドイツ政府に要求を受け入れ無ければ、乗客を一人ずつ殺してゆくと通告する。
西ドイツのシュミット首相は、特殊部隊(GSG-9)をモガジシオに送り込み機内に突入させてテロリスト三人を殺し一人を逮捕して乗客乗員全員を救出した。
このルフトハンザ機がハイジャックされる前の月の9月28日、日本赤軍はパリから羽田に向かう日航機をハイジャックしダッカに着陸して拘置拘留中の過激派9人の釈放と600万ドルの身代金を要求した。
そして、福田赳夫首相は、「人の命は地球より重い」としてその要求に全て応じた。
さて、この三人のほぼ同時期の「決断」は、全て同じ権限に基づいて行われている。それは、「行政権の掌握」と「軍隊の最高指揮権」である。
メイヤもシュミットも、法律に因るのではなく、総理のこの二つの権限によってテロと闘って勝利した。もっとも福田さんは、軍隊を動かしていないから「行政権の掌握」(憲法65条)によって、テロに屈服して乗員乗客の解放を「勝ち得た」のである。
メイヤとシュミットは、総理の権限のもとで「テロと戦う」という決断をした。福田さんは、「テロに屈服する」と言う決断をした。その決断の内容は、天と地ほど違うが、用いた権限は三人とも同じだ。
ここにおいて、何を確認すべきか。
それは、当時の福田さんも、今の安倍さんも、ゴルダ・メイヤやヘルムート・シュミットと同じ首相の権限を持っているということである。
そして、福田さんは、現にその権限を行使している。なるほど、我が国には、服役囚をテロリストの要求に応じて釈放する「法律」はない。
従って、当時から福田総理の措置は、「超法規的措置」と説明された。しかし、それは正確ではない。「超法律的措置」ではあっても「超法規的措置」ではなく、法規に基づく措置である。その法規こそ、憲法65条「行政権は内閣に属する」である。
さて、西ドイツはブラック・セプテンバー事件に遭遇して特殊部隊GSG-9を創設し、5年後のルフトハンザ機事件でそれを実戦に投入した。しかし、同時期の福田さんには特殊部隊は無かった。
しかし、GSG-9創設三十二年後の平成十六年に、我が国も特殊作戦群を創設している。現在は、創設九年目である。
しかも再び言うが、総理である安倍さんは、イスラエルやドイツの首相と同じ権限を持っている。つまり「行政権の掌握」と「自衛隊の最高指揮官」。
従って、この度のアルジェリアテロに際して、習志野の特殊作戦群を投入する発想を全く持たなかったのであれば、それは総理の立場への「自覚の欠落」から導かれる「決断の欠落」である。
アルジェリアでは、日本人がテロの標的にされた。
この先、世界で活動する日本人がいつ何時、テロの標的にされるか予想がつかない。その時、何時も「法の欠落」のせいにして「総理の決断」を回避できるのか。そして、よその国の誰かがテロと戦い始めるのを待っていて、現実に戦い始めた彼に、この度のように「人命最優先、攻撃を止めて欲しい」と要求して済ませるのか。
 
「戦後からの脱却」を目指すなら、もうぼつぼつ、総理として「テロとの戦争」に如何に対処するか、国民の命を如何にして救うのか、平時から腹をくくっておいてほしい。
その「総理の決断」に連立構造が障害になるというような言い訳は聞きたくもない。
杜父魚文庫

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