産経新聞の昭和正論座という欄は貴重です。多くの人々が忘れたこと、知らないことを立体的に再現して、現代の思考の糧としてくれるからです。
本日は有名作家の森村誠一氏の過去の大ミスについての辻村明氏の鋭い論評を再現しています。こんなことが実際に起きていたのです。
■【昭和正論座】東大教授・辻村明昭 和57年10月21日掲載
■新聞週間に思う言論人の責任
≪森村氏の「おわび」に怒り≫
この夏、約一カ月半にわたって日本を留守にし、九月十五日に帰国した。その途端『続・悪魔の飽食』の写真改竄(かいざん)事件が明るみにでた。といっても、帰国早々、それに気づいたわけではなく、今回、貯まった新聞を整理して、初めて経過がわかったというものである。
日経のスクープだったようであるが、私の住んでいる横浜に配達されるのは早い版であるため、九月十五日の朝刊にはまだのっていなかった。そして十五日は、たまたま休日で夕刊がなかったため、日経も他のすべての新聞と同様、十六日の朝刊で報道する結果になっている。
日経は経済記事が中心の新聞であるが、ベストセラーの改竄という大事件をスクープしたのだから、社会面で連日大きく取り扱った。一般にある社がスクープをすると、他の社はその事件を小さく扱うものであるが、サンケイは日経以上に大きく扱い、現在も熱心に追及している。
それに対して朝日、毎日、読売はずっと扱いが小さく、特に朝日の軽い扱いが印象的である。また読売は記事としては扱いが小さかったにもかかわらず、著者 の森村誠一氏に「『悪魔の飽食』の現地を見て」という記事を書かせ、夕刊の文化欄に上・下二回の大きなスペースを与えた(十月十四日・十五日)。実はこの 記事を読んで、私は非常に腹が立ったので、今回、この「正論」欄でとりあげることにした。
彼は、冒頭で次のように書いている。「この度拙著『続・悪魔の飽食』の写真誤用について読者に対し深くおわび申し上げます。写真誤用のいきさつについては五回にわたる記者会見による報道により、おおかたご存知とおもうが、A氏が問題写真の説明を墨で塗りつぶした理由が曖昧(あいまい)のまま残されている。
A氏の心理が動揺しており、まだその言葉を額面通りに受け取ることは危険である。いずれA氏が落ち着いてから穏やかに聞いてみたいと思うが、現在A氏に連絡が取れないので時間をかけて真相を確かめたい。私の推測であるが、動機はそれほど複雑なものではなく、一部に疑われているような背後関係はないと考えている」
≪責任感じたら筆折れ≫
これだけの「おわび」をしたあとは、ぬけぬけと上・下二回にわたって、今回の中国取材旅行のルポルタージュを書いて恥じないのである。
これでは先の「おわび」は単に言葉だけの「おわび」であって、本当の「おわび」にはなっていないことになる。本当に責任を感じているのであれば、筆を折って然(しか)るべきであるし、そこまではしないまでも、A氏にまつわる疑惑が晴れるまでは、謹慎すべきではないのか。
数年前、東大のかなり有名だったU教授が、その著作に剽窃(ひょうせつ)をおこなったことが明るみにでて、その後、東大教授を辞職したことがある。その後、新聞でも出版でもその名をみないところをみると、多分、筆を折って、二度と公の場にはでないことを誓ったのであろう。
剽窃などというのは、研究者においてはあるまじき破廉恥行為であるから、辞職するのは当然である。しかし、それにしても、二度と筆をとらないという態度は立派である。
それと比べて、『悪魔の飽食』の著者の何と破廉恥なことよ。作家は公職ではないから、何も辞職するものがないとでもいうのか。写真の改竄はAのやったことで、自分の責任ではないとでもいうのか。『続・悪魔の飽食』の目玉は巻頭の写真集にある。
だからこそ表紙には「戦慄の新事実、恐怖の未公開写真36ページで歴史の空白を暴く!」とうたい、写真の冒頭には「初公開!これが悪魔の第七三一部隊だ!“生体実験”恐怖の全貌いま明るみに」と、どぎついセンセーショナルな宣伝文句が並んでいるのである。
累々(るいるい)たる死体の山、解剖されている死体の凄惨(せいさん)さ、顔をそむけたくなるような場面のことごとくが、第七三一部隊とは全く無関係の写真であり、しかも無関係の写真であることがわかるようなキャプションは墨でぬりつぶし、日本軍の残虐性をうたうキャプションにおきかえられているということは、まさに「悪魔」の仕業であり、この本の依(よ)って立つ基盤が崩壊したことを意味する。辞職する公職はなくても、謹慎することは可能であるし、筆を折ることもできる。
≪「悪魔の飽食」は煽動文書≫
あるいは著者はいうであろう。写真は間違いであったが、本文で暴露した事実は真実であり、事実は事実としてあくまでも明らかにしなければならないと。そういう声をきくと、私はソ連の新聞論を思い出す。
国営通信社タスの元社長のパリグーノフが、モスクワ大学でおこなった講義『新聞における報道の基礎』(一九五五)のなかには、ソ連における「報道は事実をもってする煽動(せんどう)である」という定義が下されているのである。確かに事実は事実であっても、その提示の仕方が一面的であれば、それは偏向し 煽動になるのである。
『悪魔の飽食』はまさにそのような煽動文書であって、それに惑わされてはならない。
本書が日本共産党の機関紙「赤旗」に連載され、「赤旗」の記者が取材に協力しているということは、ソ連的イデオロギーを実践したものとみなければならないだろう。(つじむら あきら)
◇
【視点】昭和57年の新聞週間にあたり、言論人の責任を説いた辻村論文である。同年9月15日付日経新聞は、日中戦争中の旧日本軍七三一細菌戦部隊の実態を暴いたとされる作家、森村誠一氏のベストセラー「続・悪魔の飽食」の巻頭グラビア写真が実は、明治時代末に満州(中国東北部)で流行したペスト患者の防疫写真だったと報じた。
辻村氏は、産経がスクープした日経よりも熱心にこの問題を追及している姿勢を評価しつつ、森村氏が読売の連載で写真誤用の責任を写真提供者に転嫁した事実を指摘し、「筆を折って然るべきである」と厳しく批判した。この誤用事件を機に、日本の過去を断罪する中国の宣伝写真などに疑いの目が向けられるようになった。(石)
杜父魚文庫
11771 超有名作家の過去の大錯誤 古森義久

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