カリスマ性を求めて三ヶ月、習近平の統治スタイルがみえた。三派鼎立から別の三派連合という連立政権の中味は?
総書記就任から三ヶ月を経て、軍の強硬派に引っ張られてきた印象の強い習近平はどうやら自分の派閥を持たない実態が判明した。なにしろ党軍事委員会秘書長も中央弁公庁主任も胡錦濤の息の掛かった団派出身者が固め、習近平の手足は他派閥人が握っているのだ。周囲に頼りになる太子党は劉源くらいである。
胡錦濤前政権は「団派」+「上海派」の連立政権で太子党は両派にまたがっていた。筆者はこれを「三派鼎立政権」と書いた(拙著『中国権力抗争 中国三代派閥のいま』、文芸社)
しかし「太子党」とは強固な派閥ではなく、革命元勲の子供達の輪(リング)、英語でprince lingと言う名の通り、幅広い利益集団ではあっても連帯感が希薄である。イデオロギー的には胡耀邦の息子の胡徳平が自由・民主を標榜し、この派閥内派閥のほうが勢いがある。
団派は共産主義の理想に一度は燃えた若者達が原点だから、汚職からはやや遠く、多くは不正を憎み、いまも胡耀邦を崇拝している。
他方、上海派は経済利益で繋がる欲望の連帯、カネの絆で結ばれる。つまり三派を統合し国民を糾合するには中華思想、中華民族、中華文明という曖昧模糊として意味不明なスローガンを並べたて安直なナショナリズムに訴えるしか、いまのところ社会不安、経済格差、冨の偏在への国民の不満をそらす方法がないのである。
習近平の派閥がないという意味は、現政権の派閥力学から勘案すると、上海派と団派のあいだで習近平が常に微妙なバランスを取って綱渡りの政局運営をしていることになる。
つまりゴードン・チャンが定義したように「政治勢力の頂点に立つ政治局常務委員会はおそらく江沢民に、中央軍事委員会は胡錦濤に牛耳られている。普通なら党総書記の派閥が最強になるはずだが、そうではない(中略)。自分の地位を強化するために軍に頼りたくなるのは当然だろう」(『ニューズウィーク日本語版』、2月26日号)という情勢分析が成り立つ。
▼黒子の曾慶紅から軍師は誰にバトンタッチされたか?
もとより共産党も人間達の集団である限りは主導権争いと人脈の確執、派閥間の熾烈な党派闘争があるはずなのに、来歴からみても習近平は過去に強烈な派閥党争に揉まれてきた様子がない。むしろ派閥抗争から遠ざかり、冷ややかに他人達の抗争、確執を見てきた。無党派ゆえに安心だと江沢民とその黒子だった曾慶紅が次期総書記に李克強を押しのけて強引に選んだのだ。
変化が現れた。
政治局常務委員会は習近平と李克強を除けば、豪腕政治家は王岐山ひとりであり、残りの張徳江、張高麗、愈正声、劉雲山は江沢民の腰巾着として出世した、いわば木偶の坊に近く、トップとしての権威はゼロに等しい。
いずれ無能ぶりをさらし、政治局の事実上のトップ、王洋と李源潮に政治主導力を奪われるだろうと予想される。現時点ですら中国の報道をみていると、王洋と李源潮の動向は頻繁に伝えられても、四人の『無能』組の動向はちっとも伝わらない。ネットでは罵倒の言葉が並んでいる。
また巷間の噂やネットの意見をみると、江沢民の「院政」は表面上消滅したとはいえ、依然として江沢民の影響力が政治局トップに残存しているため、彼が露骨に反対する政策は誰も口にしない。
それよりもネット上や香港の民主派が出している雑誌などをみると、人民日報、環球時報にでてくる公式的意見、軍事ボナパルト路線や軍事突出とは異なる。
たとえば次のような分析にぶつかる。
「尖閣での強硬路線が日本を正々堂々と右傾化させ、安倍ナショナリスト政権を生んだ。日本は軍事費を増大させ、国防軍への改変を口にしている。誰がこうした状況を生んだのか」と暗喩的に習近平の遣り方を批判しているのである。
またこんな意見もでている。「日清戦争で中国海軍は精鋭艦を揃えながら日本に負けた。朝鮮戦争で米軍に敗れ、ダマンスキー島でソ連に屈し、国境紛争でインド軍に勝てず、ベトナム戦争で完敗した。戦争をやると中国は負けるのだ」などとする「正確」な意見も開陳されている(たとえば香港雑誌『開放』、13年二月号)。
習近平が「尖閣戦争の準備をせよ」などと呼号し軍事路線に血道を上げるうちに経済は猛烈な勢いで縮小し、ASEANは中国に背中を向け、香港はもっと高度な自治を要求し、台湾では独立運動が復活するだろうと警告を発する論客も登場した。
軍は見えないところで、団派の横の連帯が存在しており胡錦濤の意向が政策と思想を左右している可能性が、時々垣間見られる。
いずれにしても中国の政治では表舞台で演じられるのは茶番、裏で本当の政争が起きており、尖閣論争は権力闘争の道具でしかないという中国知識人の分析が正鵠を得ているようである。
杜父魚文庫
11790 習近平 江沢民派と胡錦濤派のバランスに乗る 宮崎正弘

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