このほど急逝した中嶋嶺雄氏は中国研究では実に貴重な実績を残していました。
いまから30年以上も前、「同文同種」「一衣帯水」というような言葉に魔笛の音に踊らされ、「日中友好!」を叫んだ日本の各界にあって、中国独裁政権の本質を冷徹にみすえていた孤高の識者が中嶋氏でした。
当時の中嶋氏の論文を紹介し、あらためてご冥福をお祈りしたいと思います。
<<【昭和正論座】東京外語大教授・中嶋嶺雄 昭和56年2月20日掲載>>
■日中経済協力の幻想と虚構
◆軽佻浮薄だったフィーバー
中国が「毛沢東思想」の赤旗を高くかかげ、“造反有理”を 鼓吹していた一時期、わが国知識人の多くは、この文化大革命に熱っぽく陶酔したものだった。
その中国が“自力更生”の旗を下ろして「四つの現代化」をかかげはじめると、今度は、わが国の政・財・官界が、あげて中国熱にとりつかれた。「日中友好、子々孫々」「一衣帯水」「中国は信義にあつい」といった言葉が どれほど強調されたことか。
だが、日中関係の重い歴史的現実を冷静に見きわめれば、こうしたフィーバーがいかに軽佻浮薄(けいちょうふはく)なものであるかは歴然としていた。いまや幻想と虚構は音をたてて崩壊しつつある。
中国が南京石油化学コンビナートなどの大型プロジェクト導入を一方的にキャンセルしてきた当日、私は、ある日中経済関係者と面談する機会をもったが、その当事者は最大の罵倒の言葉をもって中国側の非を怒っていた。
これは、まったく予想したとおりの日本人的な反応である。だが、つい先日まで過度の中国傾斜を見せていたこれらの人びとは、日中関係がそもそも「異母兄弟」としての宿命的位相にあるので、過度の接近は必ず反発を招き、そこに金銭的・経済的問題がからむと他人以上に難しい関係に陥り、こうして、日中関係は期待と幻滅、友好と敵対との往復循環をくりかえしてきたのだという歴史の教訓を真剣に顧みたことがあったのだろうか。
今回の日中経済関係の蹉跌(さてつ)は起こり得べくして起こったものであり、私自身も、これまでにしばしば予告し、警告してきたつもりである。
そもそも、中国における「四つの現代化」は、いわゆる近代化への道ではあり得ず、それ自体、非毛沢東化のための政治戦略だったのである。
したがって、当の 中国では、こうした政治戦略が党内で合意を見るまでは、その可能性を大いに鼓吹したのであるが、さる一九七八年十二月の中国共産党三中全会において、トウ小平らのいわゆる実権派が陳雲らの旧経済派幹部を復権させるとともに、華国鋒らの文革右派を「自己批判」においこみ、こうして「四つの現代化」が国家目標になったとたんに、目標のより安全な達成のためにも、当初の誇大なプログラムを縮小しはじめたのであった。
ちょうどそのとき、わが国は七八年二月の日中長期貿易取り決めや同年八月の日中平和友好条約調印に伴う日中ブームのなかで、「四つの現代化」の政治的意味を考慮せず、われもわれもと 一斉に中国へ出ていったのだから、すでにこのときから、今日の結果は予測されていたといわねばならない。
◆政治的な意味も考えず
しかも、今回のプラント導入中止の決定が、全国人民代表大会や国務院の決定ではなく、また党大会や党中央委員会の決定でもなくして、昨年十二月中下旬の党 中央工作会議という“非合法”会議でおこなわれていることにも歴然としているように、中国側は、今日にいたるも、政治闘争の一環として日中関係を位置づけざるを得ないのである。
だから、同じ十二月の初旬におこなわれた日中閣僚会議がいかに空(むな)しいものであったかも明白であろう。もとより、当面のトウ小平・華国鋒対立に示される政治闘争が背後にあることは明白であり、この点はいま説明を要しないであろう。
それにしても、宝山製鉄所問 題ではすでに昨年三月二十一日付『人民日報』論文で周伝典・冶金工業部技術弁公室副主任が中国政府側としても明白に問題点を指摘しており、また昨夏の全国 人民代表大会での宝山製鉄所建設問題詢問会では、「もし前半で(日本側に)だまされたなら、後半でだまされ方を少なくする方法があるのかどうか」(李瑞環・北京代表、『人民日報』九月七日)といった意見さえ出ていて、中国内部ではすでに大問題になっていたのである。
私自身も昨年六月、宝山製鉄所の現場を視察し、問題がいかに深刻であるかを見てきたし、たまたま華国鋒来日にちなんだフジテレビでの稲山嘉寛氏との対談(五月二十一日)でもそれらの問題点を申しあげたのだが、日中経済協力の立役者・稲山氏自身も大変楽観的だったのである。
このように見てくると、今日の問題は中国側を責める以上に日本側に甘さがあったことは否めない。
その原因を詳述する紙数はないが、まず第一に、政・財・官界のおそるべき単純思考と見通しの甘さ、とくに、本来エコノミック・アニマルであるはずの財界首脳の見通しの甘さと中国認識の浅さ、第二には、これも幻想でしかない中国石油の可能性への幻惑と“中国石油屋さん”の跳梁(ちょうりょう)、第三には「四つの現代化」にアドバイスしたりして中国事情ににわかに通じたかのようなわが国の代表的エコノミストや官庁エコ ノミスト、および代表的なシンクタンクの中国分析の甘さ、第四には、わが国の新聞の「四つの現代化」や中国石油、日中経済関係についての記事の甘さ(この点では、とくにクォリティー・ペーパーとしての『日本経済新聞』の責任がきわめて大きいことは、ここ二、三年の同紙縮刷版を開けば歴然とする)、第五には、日中経済関係の窓口である日中経済協会の“親北京”的体質の問題などが指摘できよう。
◆いさぎよく損失覚悟を
こうして破綻は起こるべくして起こり、いまや日中関係はいつか来た道をくりかえす危険にさえさらされている。
かつて一九一七~一八年に段祺瑞政権への“善意”の「西原借款」が日中の破局へとつながっていったように、いまや「四化借款」が中国の対日感情を刺激しつつある。
今回の民間ベースの問題のみならず、 すでに政府円借款にも問題が出はじめており、私は、こうなった以上、財界も政府も中国側に補償など求めずに、いさぎよく損失を覚悟すべきだと思う。トウ小平副主席は「小さな面倒」といい、谷牧副首相も「三千億円、十五億ドルなら巨大な日本経済の中で小さなものですね」といっているではないか。(なかじま みねお)
◇
【視点】日中関係史の「幻想と虚構」は、常に災いとなって日本に降りかかる。
昭和50年代に、日本の対中大型プロジェクトが直面した壁は、そのまま尖閣諸島から派生したいまの災いと少しも変わらない。
中国共産党内の権力闘争がふとした問題から日中関係に跳ね返り、やがて日本企業が取り返しのつかない損害を被る。そのチャイナ・リスクを中嶋嶺雄氏は早くから警告していた。
当時のトウ小平副主席はそれを「小さな面倒」だとうそぶき、いまの温家宝首相は「日本に責任」とひとに転嫁する非常識さだ。中国当局による日本企業の利用と、中国人の反日感情を考えれば、日本が対中投資を抑制すべきことは明らかである。(湯)
杜父魚文庫
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