北京情報通が掴んだ裏情報を基に、空前の中国情報小説が誕生。手に汗握る、中南海の権力闘争のポリティカル・サスペンス。
<<近藤大介『深紅の華 北京特派員右田早苗』(廣済堂出版)>>
「薄煕来事件」の本質はいまも謎の部分が多い。だからこそミステリーに満ちあふれ、想像力をかき立てるのも不明な部分があまりに多いためであり、闇から闇へ葬られる権力者の犯罪が、あからさまに世間にでることはなく、尾ひれが付くか、針小棒大な陰謀論と化けるか、あるいは完全に黙殺される。
薄前重慶書記その人の裁判はまだ開始されず、彼は拘束されていて髪と髭を伸ばし放題にして獄中ストをやっているという噂が漏れ聞こえる。
自分を毛沢東になぞらえて、「歌紅打黒」を標榜して重慶の地方皇帝となった薄煕来は、てなづけてきた地方軍閥を使ってクーデターによる権力奪取の射程に入れていた。弟分の習近平より、はるかに自分が皇帝にふさわしいと傲岸不遜の態度は、多くから嫌われていたが、「江沢民が背後で、次に中央委員会常務委員に昇進させ、北京書記につかせる段取りが進んでいた」と近藤氏は、その背景をさりげなく小説の中にいれている。
しかし毛沢東にはなれず、薄煕来は「第二の林彪」となった。薄一族の野望がすべて御破産になったのは、12年2月6日の王立軍亡命未遂事件だった。
王立軍は遼寧省時代からの薄煕来の副官(公安局長兼副市長)であり、重慶によばれて次々とマファア退治に辣腕をふるった。その王立軍は土壇場で薄夫人の英国人殺害を捜査し、夥しい機密、録音テープなどの証拠を携えて、四川省成都のアメリカ大使館に駆け込んだ。
すべての政治劇は、ここからスタートしたことは小誌の読者にはおなじみ。
さて著者は、これらの大政治陰謀ドラマを日本人政治家、記者と中国中枢との対決ドラマに差し替えて、実際の事件をフィクションかしつつも、日本人の身近にぐいっと持ってきた。
この着眼点が凄い。こういうシチュエーションだと日本人に分かりやすいうえ、ある種の政治的陰謀がぐっと身近に迫る効果がある。
また過去に多くのルポやノンフィクションを書いて熱心な読者を持つ近藤氏が、初のフィクションに挑んだのだが、プロの小説家なみの筋運び、見せ場、大団円の設定など、一級のサスペンス小説に仕上がった。風景の描写や人物像の描き方に筆不足は否めないが、この小説で一番重要なのはストーリィの奇抜さである。
実際の事件は英国人フィクサーのヘイウッドが中国の秘密を知りすぎて、重慶郊外のリゾートホテルに呼び出され、薄夫人の谷開来に毒殺され、遺族が駆けつける前に解剖もされず火葬されていた。
当初、この犯罪はばれなかった。しかし泥酔の挙げ句の事故死説が流れるや、ロンドンの友人等が「ヘイウッドは酒を飲まなかった」と証言し疑惑が拡がっていた。
王立軍が亡命未遂事件をおこさなかったら、これは闇から闇へ、中英の外交問題にもならなかっただろう。
だが、天網恢々疎にして漏らさず。このフィクションでは薄煕来は「厚輝雷」となり、夫人の谷開来は「西羅佳」となっている。
日本の政治家の秘書が、中国との間に秘密資金をつくり、その分け前をめぐるトラブルから、秘書が毒殺され、解剖されずに火葬される。現場は西夫人経営の怪しげなホテル、その裏門が病院に繋がり、特殊部隊のようなガードマンが警戒している。
つぎにバックにいた日本の政治家が自殺するという筋運びに置き換わる。だからおもしろさが倍増である。
しかも殺された秘書氏の元カノが、東経新聞北京支局の辣腕特派員で女性とくるから、まるでテレビサスペンス顔負け。その上に、彼女は次々と突撃取材を繰り返す裡に、闇の世界が動き出し、彼女の口封じに掛かり、それが逆に多くのスクープ記事となって薄煕来一族を政治的に追い詰めてゆくのだ。
杜父魚文庫
12178 書評「深紅の華 北京特派員右田早苗」 宮崎正弘

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