12182 グローバリズムの落し穴 加瀬英明

このごろ、グローバリズムという妖怪が、日本全国を徘徊している。
新自由主義と、いってもよい。私の書き出しは、マルクス、エンゲルスが1848年に発した『共産党宣言』の1行目を捩(もじ)ったものだと、お気付きの読者も多いことだろう。
私はふだん新作の小説を読むことがなかったが、ベストセラー作家のさかき漣さんの新著『希臘(ぎりしゃ)から来たソフィア』(自由社、2月刊)を贈られて、一気に読んだ。
主人公は、東大、ハーバード大学大学院(作中では架空名)で学んだ、代々血筋がよい、鼻もちならないエリート青年だ。
主人公は「国境など古く、国家など無用の長物である。国境を越えて自由自在にモノ、カネ、ヒトが動き回り、政府の一切の制限なしで民間企業が利益を追求し、競争を繰り広げることで、経済成長は達成される。
市場原理に忠実に政策を実施すること、言ってみれば、政府の機能を縮小する制度こそが、人類を繁栄に導く」と、頭から信じている。
ギリシアの美少女が登場し、物語の運びも、絶妙だ。主人公と美少女は最後に結ばれるが、日本の時の女性首相に説得される。
■ユーロの行き詰まりの源
「共産主義は共産党に率いられた国家が全てを、ありとあらゆる分野において管理を徹底すればうまくいくという思想です。また、逆に、新自由主義つまりグローバリズムは、国家が全ての分野で一切の管理をしなければうまくいく、という思想でした。
おそらく正解は、両者の間のどこかにあるはずです。が、最近の世界では新自由主義が大手を振って歩いており、多くの地域で国内格差が拡大しています。
その典型が、グローバリズムと新自由主義に基づいて設計された、ユーロですね。ユーロとは、加盟国の国民を不幸にするシステムだった、と言っても、過言ではないのです」
「地球上に住む人間は、文化や言語によって区別された共同体の中でなければ、精神的に、また物理的に安定して生きていくことは困難です。
少なくとも現時点においては、正常に機能している最大の共同体は、“国”なのです」
やがて二人は心を入れ替えて、国家が大事であることに目覚める、というドラマになっている。私はユーロが登場した時から、本誌でヨーロッパ統一通貨が無惨に失敗することを、予見してきた。
すばらしい本だ。ぜひ、この小説を一読されて、周囲に推薦(すいせん)されることを願いたい。
私は空想の女性首相がいう、国こそ人が真当に機能することができる、唯一つ最大の共同体であるという訴えに、心から共鳴した。
■紀元節の結婚式に出席
建国記念の日である紀元節の佳き日に、I君とR子さんの婚礼の宴(うたげ)が、ホテル・オークラで賑々しく、華やかに催されたのにお相伴して、至福の時を過した。
I君は少林寺拳法の高段者で、同門のR子さんと、日本一の妻夫(めおと)となられた。
新婦は7年前の全日本選手権大会で、第3位に入賞された大和撫子(やまとなでしこ)で、大和撫子は日本女性の楚々とした美しさを、花に託していう言葉(ことのは)だ。
新婦が羞(はじら)いながら、凛とされているのを垣間見て、私たちがなぜ祖国を母国と呼ぶのか、あらためて得心した。
■なぜ父堂がないか、ご存じですか
日本では、母堂といって、父堂がない。母衣(ほろ)は鎧(ろい)の背に負って、矢を防ぐが、戦場に立つ時に、母によって守られる想いがあったにちがいない。乳母車や、貨車のほろの語源となっている。
そういえば、英語、ドイツ語には、祖国を指して「ファーザーランド」「ファーターラント」(父国)という言葉がある。フランス語になると、母国がなくて、父の国である「ラ・パトリ」しかない。
私が妻夫(めおと)と書いたのも、女性が優っている国だからだ。古文では、女男(めおと)ともいった。夫婦を「めおと」と、読ませるようになったのは、男が空ら威張りするようになった、江戸時代に入ってからのことだ。
お2人は天長節とならぶ佳節である、紀元節を選ばれたが、日本の紀元を記録した最古の歴史書である『古事記(ふることふみ)』によれば、伊弉諸(いざなぎ)尊と伊弉冉(いざなみ)尊の男女2柱の神が結ばれて、うるわしい大八洲(おおやしま)が生まれた。
凪(なぎ)――風――と波(なみ)が戯れるうちに、恋におちた美しい物語だ。今日でも、若い男女が?(さかずき)(婚儀の盃)を交すたびに、新しい日本が生まれる。
会場はお2人の門出を寿(ことほ)ぐ数百人によって、溢れていた。I君が日本大学を卒業されたことから、どのテーブルも日大のお歴々の衆星が、この日の喜びを分かち合っていた。日大の理事長も、おられた。
『古事記』にある、「宇多宜(うたげ)は拍上(うちあげ)(酒盛)の切(つづ)りたる名なり。酒飲楽みて手を拍上(あぐる)(さかんに鳴らす)より云る名なり」との直会(なおらい)が、再現された。
賓客に体育会の血気にはやる、出身者が多かった。そのために会場に、日本晴れの気が充溢していた。日本晴れは、明治に入ってからも、「天晴れ」という意味で用いられた。
私は新郎とちがう流派だし、他学の出だが、きっと空手道の先輩ということから、トップバッターとして祝詞を述べるように、求められた。
■日本は心の国
日本は、心の国だ。私は英語屋だが、武道という言葉を英語をはじめとする外国諸語に、訳することができない。英語でいえば「マーシャル・アーツ」だが、戦う術である。
空手道、剣道、柔道、杖道であれ、無心になることが求められる。勝ち負けに抱泥して、計算してはならない。空手は中国のものだから唐手と書くが、空手となったのは、般若心経の「空即是色(くうそくぜしき)」からきている。
私は剣道ともかかわったが、「斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ。とびこんでみよ極楽」という戒めがある。柳生流に無刀流さえある。弓道では、「的を狙うな」という。
日本では日本刀の形が、平安時代後期に定まってから、他に剣がない。ところが、ヨーロッパ、中国、インド、イスラム世界でも、多くの種類の剣があって、戦いの必要に応じて、ゴルフにさまざまなドライバーや、アイアンがあるように、使い分ける。
国宝の1270余点のうち、もっとも多い品目は、日本刀だ。日本刀は民族の魂だ。このごろでは、武道に関心をもつ西洋人が少なくない。説明を求められることが多い。
ところが、西洋人や中国人には、生死を忘れ無心になるべきことが、どうしても理解できない。
艶(あで)やかに装った、日本舞踊のお師匠さんと、同じテーブルだった。日本女性の和服は世界のどこよりも高価で、華麗だ。中国の歴代の妃や、マリー・アントワネットの衣装とくらべると、圧倒している。
「着付け」という言葉も、外国諸語にない。日本ではいくら衣が美しくても、着付けによる。その身のこなしが大切だ。着る人の心の働きが、問われている。
■人の道は心から始まる
茶道、華道、書道から、香道まで、心が主役となる。
日本のような心の民は、世界に他にない。
婚礼の本字の「禮」の字解は、「示」が神で、「豊」が豆という容器に、食物をいっぱいに盛ったさまを表している。私はこれまで文弱驕奢を退けて、質素を旨として生きてきたが、目の前の御馳走を貪った。誘惑を斥けるもっともよい方法は、誘惑に負けることだ。
中国人青年によって、中国拳法柔法の極意の演武が行われた。虎法(ハウファ)、獅法(サイファ)、龍法(リョンファ)、白(パイ)鶴(ボウ)掌(チャ)の高い技が披露されて、宇宙エネルギーの化身を想わせた。
宴が酣(たけなわ)になって、日大応援部員や、OBが揃って、金屏風の前に設(しつら)えられた舞台にあがった。
団長が羽織袴、胸元に白い綱を巻き、高下駄で、終わることなく乱舞し、日大節がつぎつぎと高歌放吟された。猛(たけ)き心をもって祝えや舞えや、右へ左の大舞踏。ともに歌わん日大節。胸を揺さぶられた。
古今集に「やまとうたはひとのこころをたねにして」とあるが、日大節はまさに珠玉の和(やまと)歌(うた)だ。日本では古代から言霊(ことだま)といって、強いエネルギーがこもっている。
新婦の学友によって、ピアノで西洋の夷(えびす)歌(うた)が奏されたのも、よかった。
男女や、親子は、西洋に気触(かぶ)れて、愛を語ってはならない。愛はかならず代償を求めるものだ。心から遠い。日本には慈しむという、言葉がある。
人はけつして幸せを、求めてはなるまい。幸せを求める大罪がある。幸せは努力をした後に、ついてくるものだ。お2人が、船出した。和船は両端がとがった、女夫釘(めおとくぎ)が用いられている。
杜父魚文庫

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