ボストンのテロリスト兄弟・ツァルナエフの叔父という人が「彼らはアメリカに馴染めなかった」と言っていた。「馴染めなかった」という理由だけでテロ行為に走るとは思えないが、ここではテロ行為の背景に何か他のものがあったのかを探るのではなく、「外国に馴染めないとは?」を考えてみたい。
私は1970年以降アメリカを含めて、 20ヶ国ほどを歩いてきた。しかし、「馴染む」という点では50回以上往復したアメリカには最も親しみを感じているし、最小限の違和感と緊張感で旅行できる。言語・風俗・思考体系・食事・治安の状態等にも馴れた。初めて出張した時には「これほど素晴らしい国なのだから、永住しても良いか」とすら感動した。
しかし、今では永住の気などない。外国旅行の経験は貴重なもので、そこで得た最大の収穫は「自分の国ほど優れていて、良い国はない」と心底理解し、誇りを持ち、有り難いという意識を持てた」に尽きる。これだけは自国に止まっていては絶対に解らないし、認識できることではない。
私は在職中には1年の中の60%は、アメリカに出張しているか来日した会社の上司や同僚のアメリカ人と過ごしていた。それほど馴染んでいたのだが、アメリカには何度行っても、あるいは1月近くも滞在しても、「ここは異国である、自分は彼らとは異なる存在である」という感覚から抜け出たことはなかったし、それが当たり前だと認識していた。
だが、10年近く経った後では、アメリカの人たちとは、深刻も何もこれという悩みもなく、又何かの諍いを起こしたこともなく(と思っているだけかも知れないが)、彼らの文化も自分なりに理解して、その理解に基づいてつきあうことが出来ていた。
それ以前は、今にして思えば上部だけの親しさと、彼らとファーストネームで呼び合って対等につきあえることだけを喜んでいて、ともすれば日本人の誇りから離れていたのではないかとすら考えてしまう。
換言すれば、必ずしもアメリカに深く馴染んでいた訳でも何でもない、お客様気分を味わっていただけかも知れなかったのだ。その頃では白人連盟?の壁も見えなければ、宗教の違いの難しさまでは意識出来ていなかった。
そう考えてくれば、ツァルナエフ兄弟は自分の国を離れて何カ国目かでアメリカに来てわずか10年だそうで、しかも伝えられているところではイスラム教徒だというではないか。
馴染めていなかったのがそれほど不思議ではない。自分では「宗教の違いは意識できなかった」とは言ったばかりだが、9.11後のアメリカでのムスリム(Moslem)が置かれた立場くらいは見当がつく。
私は兄弟の写真をテレビで見て、一目で見慣れたアメリカ人の顔ではないと解った。要するに、アメリカ人に成りきれていない状態だったのだろう。
彼らは市民権(だったか)とグリーンカードを取っているそうだが、だからと言って外国の言語・風俗・習慣・思考体系を理解・認識して同化して暮らせるようになるには時間が足りなかったのではないか。
ないしは、アメリカに対して「異国という感覚」から離れきれなかったのではないのか。外国に馴れるとか馴染むということは、そんなに簡単でも容易でもないと言いたい。
もしも,馴染めなかったことをその異国のせいだとしたのだったならば、彼らの責任であり、身勝手で何かが違っていたと思わざるを得ない。自国の言語・風俗・習慣を異国にいても堅持することは必要だろうし、そう出来ていれば良いのかも知れない。だが、彼らの年齢と外国住まいの経験では、他国の文化を消化しきれなかったのは寧ろ当然だっただろう。
もしも「馴染めなかった」だけがテロの理由であれば、余りに短絡的すぎる。そこには何か他の原因か理由があったのではないかと疑いたくなる。
外国に住むということは、それほど難しいことなのだろうが、私は未経験なので想像するだけに止まっている。だが、肝心なことは「日本人であることの誇り」と「他国の文化の理解への努力」だと思う。
因みに、YM氏は8年間の大学教員生活以前からアメリカの会社勤務の経験があるし、SM氏はアメリカの大学時代からビジネスマン暮らしを含めて30年以上もアメリカに住んでいる。そこまで馴染んでいてもアメリカに対する不満など聞いたことはない。だが、言わないだけで、苦労があったことは察したつく。(頂門の一針)
杜父魚文庫
12397 米国に馴染めなかったとは? 前田正晶
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