古代神話を歴史書として読むと、史実とは思えない隘路に迷い込む。だがその民族の”出でき始め”の物語として読むと、これほど魅力ある説話はまたとない。ギリシャの神々をうたった「ギリシャ神話」は西欧文学の出でき始めの親なのである。
ジャーナリストになってからは、北アジアの「獣祖神話」に興味を駆られて資料を集めては閑さえあれば読んだものである。代表的なのは古代トルコ民族の狼祖神話。五世紀のはじめからモンゴル高原の北部に住み、アルタイ山脈の西方に「高車・丁零(こうしゃ・ていれい)」という古代トルコ民族の遊牧国家があったが、その始祖伝説はオオカミに関するものがある。
作家・井上靖は「蒼き狼」の小説を書いたが、ジンギス汗の征服欲の根源は、蒼き狼の血だとしている。モンゴル神話では蒼き狼と白い牝鹿とが天の命でやってきて、生まれた最初の人間が「バタチカン」だと伝えている。蒼き狼の名はポルテ・チノ、白い牝鹿の名はコアイ・マラル。
ポルテ・チノの狼血が、ジンギス汗に流れた説は、狼始祖史料「モンゴルの秘められた史(ふみ)」にある。
実は、もう一つの犬始祖伝説がある。ジンギス汗は、むしろ蒼き狼の血統ではなくて、黄色い犬の血統だという。チベットでは「蒙古人の祖先は犬」だという。一方モンゴルでは「チベット人の祖先は猿」。
ところが古代の漢民族や朝鮮民族には「獣祖神話」がない。あるのは「感精(かんせい)神話」。感精とは超自然力の天降る霊物などを意味している。日本の天孫降臨(てんそんこうりん)神話は、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(邇邇藝命・ににぎ)が、葦原中国平定を受けて、葦原中国の統治のために降臨したという感精神話。
「感精神話」の代表的なものとして、朝鮮半島で初めて統一王朝を作った新羅の建国神話がある。
<<新羅には古くから六村があった。それぞれの村では聖地や聖山へ村長の始祖が天から降臨してきた。前漢の地節元年(紀元前69)三月に六村の長が君主を迎えて国を建てようとした。
その時、異様な気配がして、いなずまのようなものが天から地に垂れていた。一匹の白馬がおじぎをしている。一個の紫の卵があった。卵から童子が現れ、湯浴みすると全身が光り輝いた。六村の人たちは「天子はすでに天から降ってきた」と喜んだ。>>
また高麗の僧一然が編纂した「三国遺事」では、民間信仰の檀君神話を取り上げている。ここでは熊が人間になって天子の子を生むという「獣祖神話」と「感精神話」の混合になっている。
<<天神桓因の子・桓雄は人間世界を治めるため、太伯山の頂上に降りてきた。(=感精神話)その時同じ穴に住んでいた熊と虎が、桓雄に祈願して人間になるための修行をした。虎は途中で修行を放棄したが、熊は修行をおえて人間の女になった。やがて桓雄と結婚して、檀君王倹を生んだ。(=獣祖神話)>>
檀君神話は平壌地方の民間信仰の一つと言われるが、熊が人間となって、天神の子を生む伝承は高句麗などツングース系の始祖神話に通じるものがある。熊にたいする信仰は北方系民族に広く分布し、日本でもアイヌの信仰の的となった。
万里の長城を越えて”明”を滅ぼし清国を作った女真族は、ツングース系の民族で勇猛でもって知られ、西のモンゴルと激しく戦った。その女真族が作った金という国の始祖神話に日本の羽衣伝説に似たものがある。
<<その昔、長白山の湖に三人の天女が舞い降り、水浴びをして遊んだ。その時、カササギが赤い実をくわえてきたのを、一番下の妹の天女だけが食べてしまった。妹は身ごもり、そのために再び天にかえることもできなくなった。
そして天女は赤子を生んだが、その子は、大変聡明で利発な子に成長し、やがて川を下っていって、人々を治めるようになった。それが、女真族の始祖プクリ・ヨンジュン。>>
国によって神話の内容は様々だが、その民族が国家形成に至る物語として率直に聴く心の豊かさがほしい。
杜父魚文庫
12479 神話は民族の”出でき始め”の物語 古澤襄

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