1月に、岸田文雄外相が台湾は「重要なパートナー」であり、「民主、自由、平和といった基本的価値観を共有している」と、表明した。
昨年12月に、ワシントンで古本屋を覗いたら、1924(大正13)年に刊行された『GLIMPSE OF JAPAN AND TAIWAN』と題する本が売られていたので、求めた。「日本、台湾一瞥(いちべつ)」とでも、訳せようか。
著者はハリー・フランクという紀行作家で、235ページある。帰りの機内で手に取ったが、90年あまり前の台湾が、アメリカ人作家の眼にどのように映ったのか、興味深かった。
著者は中国福建省の福州(フーチョウ)から、海路で基隆港に到着する。
中国から台湾に直航して、タイホクをはじめとする市街が、「あまりに清潔(クリーン)」で「整然(オーダリー)としている」ので、「不可思議(アンカニー)な気分にとらわれる」。
「台湾人が住んでいる区域ですら、中国の街のような、堪えられない不潔さ(フイルス)がない。ニューヨークの住宅区よりも、清潔だ」。「日本人の厳格(エクザクトネス)については、プロシア人ですら、ここまで実現したことはなかろう。日本人はかつての中国式の生活に、落ち着きと秩序をもたらした」と、驚嘆している。
著者は緑茂るマルヤマ公園を訪れて、台湾神社を見学する。今日ここには、圓山大飯店が建っている。
■日本に学んだ台湾の進化
「まるでキョウトを、そのまま移してきたようだ。シントウの神社が市内にいくつかあるが、みな日本の清らか(クリーン)な雰囲気が保たれて、台湾人が拝む極彩色で、喧騒をきわめる廟と、まったく対照的(インコムパティブル)だ」。「台湾海峡の対岸と較べて、人力車の車夫の着衣、編笠(マッシュルームハット)までが清潔で快い」。
「中国では鉄道を利用しても、旅といえば無政府状態(アナーキック)だが、日本の列車に乗って、近代に戻ることができた。(略)車内の検札係は三等車でさえ、”顔のない”乗客に対して、まず制帽を脱いでお辞儀をする。(略)中国と違って、日本の美的水準(パルクラチュード)によって、客車の床下が掃ききよめられ、水が打たれている」。
中国と違って、「どこへ行っても、悪臭(オードー)がない」。
著者は冒険心に富んでいて、地方をまわった時に、「台湾式旅舘(フォーモサン・イン)」で一晩を過す。
食事が「悪臭(ノイサム)がして」、カーテンも寝具も、「おそらく1度も洗ったことがなく」、中国人客の声が一晩中、「まるで喧嘩(クオルラス)をしているように煩(うるさ)かった」。もちろん、入浴する習慣がないから、風呂場がなかった。
日本が「僅か20年あまり努力(注・統治)したことによって、何と大きな(グレイト・)変化(チェンジ)がもたらされたことか。おそらく、世界の人々はいまだに台湾(フオーモサ)といえば、禁断の山々が密林によって覆われ、野蛮人が蟠踞(ばんきよ)する島だと思っていよう」。
本に著者が撮った写真が、多くある。一等車に乗る子連れの台湾人夫婦、三等車の日本髪を結った女性、「縣立臺南神社」の大鳥居を通して見る、鎮(ち)木(ぎ)をのせた拝殿。こざっぱりした服に、草履の台湾人小学生(日本が台湾中に、立派な校舎を建てたと説明されている)、白い制服を着た日本人駐在を中心にして、満面笑っている山岳民族の少年男女(「つい最近まで、首狩族(ヘッドハンター)だった」と説明)などだ。
統治とは文化を育成することだ
読み進んでゆくと、著者は「このところ国際世論のなかで、中国が無秩序(セミ・アナキー)にあるよりも、しっかりとした勢力の〃保護領〃となったほうがよい――というよりも、必要があるという声が聞こえてくるが、台湾の現状を見ると、日本に統治させたらどうなるか、という展(クリア・)望(アイディア)をいだかせる。しかし、それよりも天上(セレスティアル)の国(注・中国)に住んでいると思っている人々は、不潔(ダート)や、混乱(ディスオーダー)のほうを好んでいるのだろうか」と、述べている。
台湾と中国とは、民族も、文化も、まったく異なっている。
まず、台湾人(タイワンレン)は大漢民族(ダハンミンズ)の一員でない。対岸の福建省の人々は、閩(びん)と呼ばれた種族だった。東南アジアから沿岸まで住む民である。五代十国の一つの名で、閩は今の福建省だが、三代目に南唐によって滅ぼされた。
北京政権は漢民族が中華民族(ツオンファミンズ)のなかで、もっとも上に立つ「老大(ラオダ)」であると、称している。スターリンがソ連時代にロシア民族がウクライナから、チェチェンにいたる諸民族の上に立つといったのと、変わりがない。
もし、中国が台湾を呑み込むことがあれば、台湾を少数民族の自治区ではなく、同じ漢族の台湾省としよう。
だが、17世紀から19世紀にかけて、台湾に渡ってきた人々は、漢人ではない。中華民族にいたっては、北京政権製の政治的な概念だ。習近平中国国家主席が「中華民族の偉大な復興」を、さかんに唱えているが、かつての華夷秩序による、覇権主義の復活を目指しているのだ。
文化とは何かというと、文化人類学者のあいだで論争が絶えない。
いうまでもなく、文化は複雑な概念だ。私なりに定義してみれば、1つの国か、1つの社会の文化は、共有する知識、記憶、歴史的体験、清潔度も含めた習慣、行動様式、未来への期待などによってつくられていよう。
■台湾は文化的に中国に属していない
台湾は文化的にいっても、中国に属していない。
今回、日本政府が台湾が「パートナー」だと言及したのは、昭和47(1972)年の日中国交正常化によって、台湾と断交してから、はじめてのことだった。
私はもし台湾が滅びることがあれば、日本も滅びてしまうから、日台が同体であると、かねてから論じてきた。
日本にとってアジアのなかで、台湾の他にこのような関係にある国はない。日本が存続するために、台湾が同じ価値観を分かち合う政権のもとにあることが、不可欠である。
かりに、韓国が再び李氏朝鮮時代のように中国の属国になるか、あるいは北朝鮮によって呑み込まれることがあったとしても、日本にとって重大な脅威となろうが、日本が亡びることはない。
そうでなくても、韓国は日本に対して癒しようがない、深い憎しみをいだいている敵性国である。
台湾がその一部にせよ、中国に属していたことは、明、清朝のごく一時期でしかない。
清の乾隆帝といえば侵略によって、中華帝国の範図をもっとも大きく拡げたが、正史『清史』の『外国列伝』が台湾北部にある鶏卵国が、日本に属すると記している。
明治4(1872)年に、琉球人が台湾に漂着し、原住民に虐殺される事件が発生して、日本が清国に抗議した時に、清国は台湾が「化外(統治が及ばない)の地」だと、回答している。「牡丹(ぼたん)社事件」として、知られる。
■台湾は民族的にも大陸と異なる
台湾は人種的にも、文化的にも、中国大陸と違う。
台湾は日本統治によって、「価値観を共有」するようになった。もう1つの日本なのだ。日本国民は、なぜ、もう1つの日本を擁護しようとしないのか。
「撲東京富士山頭揚漢旗(プトンチンフシュサントウャンハンチ)!」(東京を爆撃して、富士山頂に漢旗〈五星紅旗〉を立てよう!)〈最新の人民解放軍軍歌〉
台湾に漢旗(ハンチ)を立てさせては、絶対にならない。台湾が滅びたら、日本も亡びる。日本の生命線である海上交通路を、絶たれることになる。
この原稿を書きながら、東京ドームからの日本勢対台湾チームの、WBCのラジオ実況放送を聴いた。アナウンサーが「台湾の旗が揺れています!」と叫んだが、中華民国在台湾の青天白日旗だ。このなかの「日」は、日の丸なのだ。李登輝元総統が大陸から逃れてきて、台湾を占領した中華民国を、「中華民国在台湾」と呼び替えた。
杜父魚文庫
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