大陸からの博徒は2000万人に迫り、とうに本場ラスを凌駕。カジノで有名なマカオはサンフランシスコ・ザビエルが滞在し、日本に布教に来た。歴史的な要衝で1999年までポルトガル領だった。
中国へ返還後、特別行政区。「一国二制度」が適用されたが、「反国家分裂法」が適用されるため、独立を言うことも高度の自治の要求もタブーである。
人口僅か52万、香港から西へ70キロ。フェリーで一時間。広東省の省都広州からは145キロ、新幹線で40分、珠海の北方にある新幹線駅からタクシーで30分。だから中国人の旅客がいつも狭い島が満員となる。
ホテルは目が飛び出るほど高く、殆どが値引きに応じない。
中国大陸から一攫千金を夢見る博徒がマカオへ押し寄せる。年間1800万人、ここに香港、韓国、台湾、そしてJapanからも博徒がマカオへ、マカオへ。有名なバカラで一番に三億円することだって可能。金正男も、このマカオの豪華ホテルに特別室を持っていた。
最近は日本からも直行便が開設された。
ラスベガスの御三家はMGM,サンズ、ウィン。三社ともマカオに豪華カジノホテルを建設し、24時間ぴかぴかのネオンとともに博打場は営業している。この列に香港資本のギャラクシーやドイツ系のソフィテルなど合計25のカジノホテルがひしめき合い、「中国の夢」の実現に励む。
そして本場ラスをしのいでマカオは世界一のギャンブル産業都市となった。
しかし大方は有り金をすって、とぼとぼと早朝、無料バスにのって中国国境へ去る。掛け金がなくなると身につけてきたアクセサリー、指輪、ハンドバックなどを近くの質屋へ持っていく。現金に換える。広東語で質は「押」である。
さるにてもマカオは狭い土地、ふたつの島(コロアネ島とタイパ島)から成り立つが、この間の海を埋め立て、コタイ地区を造成、ここに26番目のカジノホテルの入札があった。
各社が応札したが、最後にマカオの王者スタンレー・ホーの一族が経営のSJMホールディングが入札を勝ち取った。スタンレー・ホーにとってはリスボア、グランド・リスボア・ホテルなど六件目のカジノホテルとなる。
不動産バブルが破裂し、習近平は汚職防止、綱紀粛正のキャンペーン、大陸からマカオへの博徒が急減した状況に、スタンレーは強気の勝負を挑んだことになる。
杜父魚文庫
12674 様変わり続くマカオでスタンレー・ホーが巻き返し 宮崎正弘
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