大江健三郎は「九条の会」の事実上のリーダー、看板、広告塔だろう。「九条の会」のメルマガ(2013年5月25日)にはこうある。
<2004年6月、私たちは「九条の会」を発足させ、「日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、『改憲』のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力をいますぐはじめること」をよびかけました。これに応え、全国各地、各分野に7000を超える「九条の会」が結成され、それぞれが創意あふれる運動を展開してきました。
安倍内閣・自民党は小選挙区制という極端に民意をゆがめる選挙制度の力で得た虚構の多数を背景に、改憲に向けて暴走しはじめました。安倍首相はその入り口として憲法96条をとりあげ、現在衆参それぞれの3分の2の賛成とされている憲法改正の発議要件を過半数に緩和するとしています。これが、時々の多数派のつごうで憲法を変えられる状況をつくりだし、立憲主義を破壊するものとなることは明らかです・・・>
1945年の敗戦により日本共産党は占領軍を「解放軍」と言って歓迎し、容共左派の反日屋は米国製の憲法を70年近くもまるで“御本尊”のように崇めてきた。彼らは今の憲法があれば日本の平和が守られるという、ほとんど暗愚の宗教信者のようである。その教祖が大江である。
東京大学広報誌「淡青」(2006年1月)によると、大江が「九条の会」という直接的な政治運動を始めたのは友人であるエドワード・W・サイードの影響が大きい。「知識人は世界に対してはっきりと表現し、主張しなければいけない。それが知識人の条件だ。自分がどういう人達を代弁しているかを意識せよ」とサイードは言う。大江の「日本は憲法を変えずに平和主義でやっていこう」という主張の具体的な活動が「九条の会」である。大江は言う。
<加藤周一さん(「九条の会」呼びかけ人の一人)は「知識人の任務」で、大きな戦争に反対を表明せず、敗北までついて行った無力な日本の知識人を救い直す道はあるかと考える。そして、人民のなかに己を投じ、人民とともに再び立ち上がるほかに道があり得るだろうかと問いかけています。
加藤さんは、八十代になって「九条の会」をつくる中心となり力を注がれた。私も加藤さんと一緒に働けた。加藤さんの文章を読み、直接に話を聞いて心が燃え立ったことを、私は伝えつづけるでしょう>(文芸春秋鼎談2009年12月)
有能な知識人が無知蒙昧な人民をリードするというわけだ。「知識人」という言葉自体がほとんど死語になっている今日、何か時代錯誤的、現実離れ的な感じがする。
「マイスターネット」というサイトに大江の知人である匿名氏がこう回想している。
<当時、私は、放送協会の報道局の政治経済番組部に居て、ラジオやテレビの国会中継番組実施の現場要員の一人でもあった。そのため、当時の若干の政治家の風貌や考え方にも少し通じていたし、瑣末なことまで知っていた。雑談の中で、そのようなことを言った記憶があったが、それを根拠にか、彼ら(大江たち)は私を「体制側」の者だと思っていた形跡がある。
折に触れて彼らが私に対して攻撃的、批判的なことを言っていたのは、その点が彼らの印象に強く残っていたせいかも知れない。そこからが多分、大江の側の飛躍した想像だったと思うのだが、私は彼にとっては、腐りきった反動的な政治で「僕たち青年」を苦しめる「反動的政治家たち」の論理を追い求める、堕落した「反動の走狗」に見えていたのかも知れなかった。彼の言葉から思い出せることはそれだけである。彼がその時に言った、「君とは喧嘩をした仲」の意味は、それしか考えられないのである。
彼は、何か現実の装置に驚いて、眼の前で推移する事柄の実態や本質を冷静に把握出来ていなかった、「純粋だが、同時に無知で無責任な、幸せな青年」のようにも、当時の私には見えたのだった。大江の処世の実像を見ていると、原稿が売れたことと、社会を生きてゆくこととの間にあるものを弁別する姿勢は誰も彼に教えてくれなかったのである>
1960年代、大江は北京を訪ね、「北京にはなんと多くの明るい目があふれていることだったか」と感激し、またアジア・アフリカ人間の会議では「ぼくにもっとも深い印象をあたえたのは朝鮮民主主義人民共和国の代表がおこなった報告であった」とこれまた感激している(「厳粛な綱渡り」)。
独裁国家なら一つの思想、一つの情報しか与えられないのだから国民に迷いはない。匿名氏が指摘するように「眼の前で推移する事柄の実態や本質を冷静に把握出来ていなかった」のである。
今、大江教「九条の会」に洗脳され踊らされている人々の目は明るく澄んでいるのだろう。安全保障の現実に目を向けずに平和のお題目を唱えている大江は78歳になっても相変わらず「純粋だが無知で無責任」なままである。愚かという他ない。(頂門の一針)
杜父魚文庫
12837 愚かなままの大江健三郎 平井修一

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