12862 憲法の真実をみよう  古森義久

憲法改正をめぐる論議はやはり正面から堂々と進めるべきです。言葉の遊びはやめたいですね。以下の佐瀬論文はその論議の貴重な一助になると思います。
<<【正論】防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛 内と外の「二枚舌」要らぬ憲法を>>
自分の知力、気力、体力が最も盛んだった時期を、私は防衛大学校で過ごした。当初、防大生は街で「税金泥棒」とか「憲法違反」とかの罵声に耐えねばならなかった。猪木正道学校長時代、これらの罵声が不当であることを防大生に納得させるため、新入学生に憲法学習の時間が設けられた。私はそれを担当しなかっ たが、自分の考えを纏(まと)める必要があった。言うまでもなく、最大の問題点は現行憲法の第9条であった。
≪護憲派は「憲法文言墨守派」≫
「いわゆる護憲派」全盛の時代だったので、対外的発言には細心の注意を要した。開口一番、「私は護憲論者です」と名乗る。聴衆は怪訝(けげん)そうな表情。次に「護憲論者だから改憲が必要と考えます」と私。聴衆は???だ。そこで私。「第96条には憲法改正に関する規定があります。改憲は禁じられていま せんだから、護憲と改憲は矛盾しません」。そして「いわゆる護憲派」は実は「憲法文言墨守派」に過ぎない、と結ぶ。
昨今はさすがに 「憲法一字一句墨守派」は減った。昔日の「墨守論者」たちは9年前に「九条の会」へと戦線縮小した。それに参画した憲法学者、奥平康弘東大教授は「この会 のターゲットは9条一本に絞って、改定に対する反対の声をあげていこうというものです」と語った。一点墨守論だ。
産経新聞の「国民の憲法」要綱づくりで現行の9条関係を担当できたことは私にとり誠に光栄であった。日本は現実の必要から自衛隊という軍事組織をつくったが、これには2つの大きな難点があったし、現になおある。第1は入り組んだ憲法解釈なしではその合憲性が説明できないこと、第2は自衛隊を説明するのに国内向けと対外的とで二 枚舌を必要とすることだ。私は「国民の憲法」ではこの2つの難点を消したいと努めた。
≪一丁目一番地で手品的解釈≫
現行の9条を含む第2章は「戦争の放棄」と題されている。9条1項、2項のどこにも「国防」の文字はない。が、現実には憲法発布から数年で「国防」の必要 が生まれた。ためにその数年後には国防を担う自衛隊が発足。その合憲性は憲法の明文規定ではなく憲法解釈に依拠した。9条は国防に関する憲法解釈の一丁目一番地。道はそこから東西南北に走る。「戦力の不保持」へと向かったはずの道が、気がつくと大きくカーブ、「戦力ではない自衛隊」に行き着いた。憲法解釈という手品だ。
当初、国民は自衛隊は違憲くさいと思いつつも現実の必要性をより重視した。やがて国民の8割が自衛隊を肯定、手品じみた 憲法解釈に無関心となった。しかし、この現実は憲法重視の見地からは不健全が過ぎる。だから「国民の憲法」は「国防」の必要を第3章の章名で謳(うた)うことにした次第だ。
自衛隊は国民の間では定着している。だが、国際社会ではどうか。自衛隊は国際的には「SDF(セルフ・ディフェン ス・フォース)」を名乗る。他国を見れば分かるように、「F(フォース)」は「軍」であって「隊」ではない。日本国内では自衛隊は「隊」だが、「軍」であってはならない。9条2項が「陸海空軍その他の戦力」の保持を禁じているからだ。つまり、日本では国の内と外とで二枚舌に終始してきた。それでも、自衛隊の活動が国内に限定されている間はまだよかった。国連平和維持活動(PKO)が任務に加わる時代となると、新しい問題が生じた。
派遣先で同じ任務に従事する他国の部隊が必要に応じて国連基準で許される武器使用も、「軍」でない自衛隊はその一部を国内法で縛られて「使用不可」だ。他国部隊への後方支援も、他国の「武力の行使と一体化」すると、憲法違反と解釈され、許されない。派遣された自衛隊が現場で苦しむという不条理。これも自衛隊が 「軍(フォース)」でないことに起因する。
≪自衛隊は「軍」との明文規定≫
では改憲で自衛隊を「自衛軍」に改めると、問題は片付くか。否。なぜなら「自衛軍」もSDFであり、対外的には同じ看板が続くからである。外国にすれば、「看板が同じなのに行動原理が変わるのはどうして?」となる。日本不可解論の増幅もあり得よう。
結局、自衛隊もSDFも清算するほかない。では「国防」に必要な「軍(フォース)」は何と呼ばれるべきか。「国民の憲法」では「軍を保持する」と謳った。 これは機能の記述であり、組織呼称ではない。呼称は将来の法律に委ねられる。「第3章 国防」、「第16条 軍の保持」に照らして「国防軍(NDF)(ナ ショナル・ディフェンス・フォース)」と呼ぶのが妥当だろう。
「自衛権」は謳わないのか。要綱には「確立された国際法規に従って」とある。国連憲章第51条で「個別的、集団的自衛権」は国家固有の権利だ。ゆえに憲法でそれを明文否定しない限り、保有は自明だ。自明を書くには及ばない。
義務教育を終え、選挙権年齢に達した国民が読んで合格点を取れる程度に理解できる憲法。国防という重要事項につき手品まがいの憲法解釈を必要としない憲法。それが防大の教壇に立って以来の私の念願だったから、要綱策定は苦しかったが、楽しかった。(させ まさもり)
杜父魚文庫

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