12897 視覚障害者による写真に学ぶ   加瀬英明

私は40歳になってから、身障者福祉にかかわるようになった。あのころから、忙しい毎日を送っていた。 それでも、心の片隅で身体障害者の役に立ちたいという、願望をいだいていた。
盲人福祉活動に携わって、今日に至っているが、貴重な精神的体験をすることができてよかったと、思っている。
母が私が生れる前年に来日した、ヘレン・ケラーと会って、手帳にサインを貰っていた。母は私が幼稚園に入ったころから、ヘレン・ケラー女史について話してくれた。私にとってお伽話の主人公のようなものだった。前大戦中に小学校に進んでから、女史の本をかいつまんで読んでくれた。
■敬愛するヘレン・ケラーのサイン
ヘレン・ケラーは幼時に重病を患ったために、視覚と聴覚を奪われて唖者となった。それでも、三重苦に負けずに努力を重ねて、世界的な教育者となった。
母の遺品のなかから、ヘレン・ケラーのサインを見つけた。鉛筆を使って、名前を一字一字ゆっくりと、子供のように書いている。
私が盲人福祉団体の役員となった時には、角膜の死後提供者の登録、盲導犬の贈呈、盲学校への寄付などが、主な活動となっていた。
■盲人福祉団体の会長となって
5年あまりして、私が会長を引き受けることとなった。前の会長が、井手光治衆議院議員だった。
ほどなく、札幌の全盲の青年からカメラメーカーのミノルタが、写真の濃淡を凹凸に転換するコピー機を開発したのを知って、盲人が自動焦点カメラを使って写真を撮れば、画面に触わることができるという、提案があった。
親しい盲人や写真家と相談したうえで、全国の視覚障害者から写真を募って、コンテストを催すことになった。盲人写真は自動焦点カメラで撮った写真と、凹凸に転換したそれぞれコピーのパネルを組み合わせて、展示される。
今では故人になってしまわれたが、並河万里先生、三木淳先生などの写真界の大御所が、審査委員を無報酬で引き受けて下さった。
■寛仁親王牌の輝き
寬仁親王殿下にお願いをして、名誉審査委員長に御就任いただいた。殿下は最優秀作品賞として、寬仁親王牌を提供して下さった。ご自分を「福祉の現場監督」と呼ばれていたが、お忙しいなかを、多くの時間を割いて下さった。
昨年5月の全国盲人写真展の開会式にも、御臨席下さった。殿下は昨年6月に、薨去された。日本にとって惜しい方を、失ってしまった。
■25年の発足の第1歩
昭和63年に新宿の特設ギャラリーで、第1回全国盲人写真展が開催された。私は控え室で開会式が始まるのを、全国から集まった入選者と待っていた。
すると、入選者の1人が私に話しかけた。
「私たちはテーブルなら、触れば分かります。馬でもおとなしくしていれば、触ることができます。
しかし、走っている馬や、農家があって、富士山が浮かび、新幹線が走っているといった風景や、動いているものには触れませんから、想像するだけでした。
この盲人写真によって、はじめて風景や、動くものに触れることができるようになりました。私たちの世界を、大きく拡げてくれました」といって、喜んだ。
■第28回目の写真展
今年で全国盲人写真展が、28回目を迎えた。
細江英公先生、児島昭雄先生、沼田早苗先生が、審査に当たっていられる。日本写真界を代表する3人の先生が、舌を巻く優れた写真が集まる。
目が見えないからよい写真が撮れる
視覚障害者は全盲の1級から、すぐ前をぼんやりと見ることができる6級まで、等級が分かれている。これまで、最優秀作品賞から上位の入選者まで、1級が多い。
第25回全国盲人写真展で、寬仁親王牌を受賞した青年も、1級だった。サンケイ新聞のインタビューに、「私は生れつき目が見えないから、よい写真が撮れます」と述べている。
私はこれまで盲学校の少年少女を含む、1万点近い応募作品の審査に立ちあってきたが、応募作品は明るい写真ばかりで、暗い作品が1点もないことに驚いてきた。
健常者の写真コンテストでは、暗いテーマを取りあげたものが多いが、盲人写真のなかに暗い対象を撮ったものは、1枚もない。
■盲人写真展の質がきわめて高いのは驚き
盲人写真展を観る者は、入選作品の質がきわめて高いのに、驚かされる。私たちが生きている世界が美しいことを、あらためて教えられる。視覚障害者のほうが健常者よりも、美しい世界への憧れが強いのだ。
かえって、健常者は五感を備えているために、せっかく美しい世界に生きているというのに、余計なことに気が散ってしまう。
盲人写真によって、私たちが生きているこの世界が美しく、喜びにみちているものか、教えられる。心の眼を使って、見なければならないだろう。
今年も会長として、展示会場に展示する短い文章を寄せた。生きている世界は心の世界なのだ
「私たちが生きている世界は、形、光、色が休みなく動いている。人は感性によって、生きる力を強める。写真はその一瞬を停めて切り取るが、美しさや、おもしろさや、ときにはユーモアが表現される。
今回も、全国の視覚障害者から盲人写真展に、多くの作品が寄せられたが、いつものように優れた作品が多かった。
うっかりしていると見過ごしてしまう、そんな瞬間をとらえることによって、豊かな心をもたらしてくれる。作者の貴重な体験が、伝わってくる。
これらの作品から、人生は一瞬一瞬が尊いことを教えられる。写真は瞬間を立ち停らせるから、おもしろい。
かえって、光を奪われて視覚を損われた障害者のほうが、健常者よりも生き生きとした世界をとらえる力を備えている。盲人写真に接していると、健常者がもっと眼を開くように、促されている思いがする」
■盲人写真作品の輝き
私は全国盲人写真展が催されるたびに、宗教的というべき、体験を味わう。
「明け方に起きて、草にも花にも露がしっとりおりている庭にそっと出ます。バラが軽く手に触れる感触、朝風にゆれるユリの美しい動きを知ることは、どんなにおおきな喜びでしようか。
時には、摘んだ花のなかにいた虫をつかまえると、急に押さえつけられたのに気がついておびえ、羽をこすり会わせてかすかな音を立てます。果樹園で実が熟する七月はじめ、心地よい風は木々の間を吹き抜けます。まだ太陽のぬくもりの残っているリンゴにほほを寄せ、家に帰る楽しさといったらありえませんでした」(『ヘレン・ケラー自伝』)
日本の自然は美しい。私たちは、その恵みをいっぱい受けて生きている。これほど自然が四季を通じて、豊かな色を見せてくれる国は少ない。
■美しい国に美しい心をもっと咲かせよう
私たちは美しいくににかなった、美しい心を持ちたいものだ。そうすることによって、美しいくにを築くことができる。私は盲人福祉に携わるうちに、他の多くの身障者施設に招かれて、多くの重症の障害に見舞われた身障者に接してきた。
身障者と交わることによって、多く学ぶようになった。人生は健常者にとっても、障害者にとっても、障害との戦いだ。身障者は人生で、大損をした人々だ。私は仕事や、日常生活のなかで、損をすることがあっても、厭わなくなった。
私たちの夢は、盲人写真の輪を国内、さらには世界にひろげてゆくことである。日本の世界におけるイメージを向上することにも、役立とう。
杜父魚文庫

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