トルコの大規模な反政府デモに立ち向かうエルドアン首相をみていると、安保騒動に立ち向かう岸信介元首相と重ね合わせてしまう。もっとも、こんなことを思うのは、80歳を越えたオールド・ジャーナリストだけかもしれない。
安保騒動で退陣した岸さんは、その後、クリスマスの夜は東京神楽坂の料亭・松が枝に気のおけない数人の記者と酒を飲みながら、保守合同の昔話をオフレコで語ってくれた。松が枝の女将は、保守合同の立て役者・三木武吉の愛人。
だが、保守合同のかくれた立て役者として松野鶴平元参院議長のことを忘れてはならない。松野はこの松が枝で吉田自由党の緒方竹虎とひそかに会談したり、三木武吉と二人だけで話し合いを重ねている。
この松野を保守合同のかすがい役になると目をつけたのが岸さんである。吉田自由党の中には保利茂ら合同反対派が根強い影響力を持っていた。佐藤栄作もその一人。
松野と緒方が仲が良いところに目をつけた岸さんが、吉田自由党の説得工作に松野・緒方ラインを使った。これが効を奏した。「松野のいざという時の行動力はたいしたものだ。稲光のように光って見えた」と岸さんは述懐している。
だから保守合同が成った自由党の初代幹事長になった岸さんは、松野を参院議長として遇したわけである。
前置きが長くなったが、保守合同の裏話が目的ではない。
一連の動きの中で、岸さんは松野に惚れ込み、自分が他日、政権を担う時には松野を”政治指南番”と仰ぐことになった。岸さんが首相になったのは60歳、巣鴨プリズンから釈放されて、わずか3年10ヶ月のことである。吉田自由党で重鎮だった松野の力量を頼りにしたとしても不思議ではない。
だが結論からいうと、この政治指南番は不発に終わっている。
松野は政治指南番を引き受ける条件として、人事のすべてにまたがって相談に乗ることを求めた。岸政権が誕生して、岸派の川島正次郎ら側近が勢いを増していたから、岸さんは参院の人事に限って松野に相談すると答えた。
「これでは政治指南番はできない」ということになった。
その影響は警察官職務執行法改正法案の取り扱いをめぐって、強行突破を図る川島幹事長と、本会議に上程しないと突っぱねる松野参院議長の対立となって表面化した。警察官職務執行法改正法案は審議未了となったが、安保条約の改定をめぐって川島幹事長の強行突破策が再燃している。
川島ペースに乗った岸さんは、条約改定の批准には成功したが、国論を二分する安保騒動を起こして退陣を余儀なくされた。「不退転の決意で臨むしかなかった」と岸さんは回顧しているが、松野政治指南番だったら違う手法があったのではないか。
「ズル平」ともいわれた練達の士だった松野鶴平は昭和37年(1962年)10月18日、78歳で死去。エルドアン首相には松野のような政治指南番がいないのかもしれない。
<【6月9日 AFP】大規模な反政府デモが続くトルコでは、レジェプ・タイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdogan)首相が抗議行動をやめるよう呼びかけたにもかかわらず、8日も各地で数万人の人々が路上に出て怒りの声を上げた。
政府は「抗議行動は抑制された」と発表したが、9日目を迎えた全国規模の反政府デモの中心地であるイスタンブール(Istanbul)のタクシム広場(Taksim Square)には、これまでで最も多い人が集まった。
日没のころになると、普段は別々のチームを応援するサッカーのサポーターらがタクシム広場に集まって火を放った。赤い炎が上がると、集まった人々から大きな歓声が上がった。警察は1日に同広場から撤収している。デモに参加した29歳の弁護士は、「エルドアン首相が退陣するまでデモを続けなければならない」と話した。
首都アンカラ(Ankara)では8日、中心部にあるクズライ広場(Kizilay Square)に集まった約5000人のデモ隊に対し、数百人の警官隊が催涙ガスと放水銃を使用した。広場から離れて近くの脇道に逃げ込んだデモ参加者らを警察官たちが追った。地元テレビは数人がけがをしたと伝えている。(AFP)>
杜父魚文庫
12949 エルドアン首相の強権政治と岸元首相の回顧 古澤襄

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