12970 きれいごとが多すぎる:従軍慰安婦の怪 MoMotarou

米国人は嘘をつくことに何の罪悪感ももたないという意味で、おそらく中国人と肩を並べる存在だろう。現に彼らの中で一番嘘が少ないという理由で大統領に選ばれたクリントンでさえモニカ・ルインスキーとの一件で偽証し、謝罪している。(高山正之「変見自在」)
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橋下大阪市長の慰安婦発言の余波が有難く続いている。お陰で日ごろ安倍政権や橋下市長にイライラしていたマスコミは憂さ晴らしができて気持ちも落ち着きます。
況(ま)して安倍や橋下市長が気にくわない国々は絶好の機会であります。次の選挙で両方が失敗すればウォン安も、シナ包囲網、日教組追放、公労協イジメめも無くなりますので、枕を高くして寝られるのです。お二人は果敢にも「戦後タブーの闇」に挑戦しております。身が幾つあってもたりません。
■やっと出番が回って来た
従軍慰安婦問題に超党派女性議員が怒りを表明しました。メンバーは福嶋さんに辻元さんたちですが、確かに極左反日超党派でした。マスコミは誇大広告気味で疲れます。
TVタックルの特集をみておりますと、橋下市長を非難する側は、”従軍”慰安婦があったという前提。逆に橋下派は”従軍”はなかったが「慰安婦」は存在していたという事。橋下さんの方が正しい。
■見当はずれのマスコミ
面白いのは当事者河野洋平元衆議院議長のコメントを、どこのマスコミもが取りに行かない事です。まだ生きているでしょう? 何故か河野さんも誤解を解く気持ちが無さそうです。そして朝日新聞がダンマリを決めこんでおります。君子と金持ちは危うきに近づかずでありましょうか。
■何事にもお金が掛かる
comfort women(慰安婦)から sex slave(性奴隷)に言い換えをしたのはヒラリー国務長官です。注目点の一つは「従軍」という意味の英語が付いていない事です。それを英訳すると「嘘・でっち上げ」が明らかになるからでしょう。
もう一点はslaveを使った点です。理由は大統領が黒人だからです。「奴隷」と言う言葉にオバマさんは敏感にならざる負えないのです。さすがambulance chaserの本領発揮ですね。選挙費用もご主人の訴訟費用も多額でありました。韓国もmoneyの使い方がうまい!
*地方の方へ:既にいろいろな政治経済システムが変わっております。首都圏以外は覚悟を決めて経済政治とも自立反転の道を探りましょう!
(注)ambulance chaser【名詞】
 交通事故の被害者をそそのかして訴訟を起こさせる非倫理的な弁護士
 (an unethical lawyer who incites accident victims to sue)
    JOKK-WAHAHA^^ こちらMoM放送局です!
      YouTube支局 http://www.youtube.com/user/momotarou100  
          
 お勧めサイト
 ・杜父魚(かじか)文庫ブログ
  「米中首脳会談で二つの指摘が  古澤襄」
  http://blog.kajika.net/?eid=1003947
 ・「【女性大討論!】女性問題を保守に奪還せよ[桜H25/6/8]」
  http://youtu.be/BpwzWJ9Ovw8
*話題の書紹介:韓国が米国にて著者ヨーコさんを人民裁判のごとく吊るし上げた。戦争を知っている「老女」を、である。ヘレン・ミアーズさんは間に合いませんでしたが、是非日本に呼ぶべきでしょう。CH桜がんばってください。「竹林」とは竹やぶのある日本の事。
「竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記」ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ 著
 (以下、アマゾンより転載) 
内容紹介
1986年にアメリカで刊行後、数々の賞を受賞。中学校の教材として採択された感動秘話。邦訳が熱望されていた名著、待望の日本語版
大戦末期のある夜、小学生の擁子(ようこ・11歳)は「ソ連軍がやってくる」とたたき起こされ、母と姉・好(こう・16 歳)との決死の朝鮮半島逃避行が始まる。欠乏する食糧、同胞が倒れゆく中、抗日パルチザンの執拗な追跡や容赦ない襲撃、民間人の心ない暴行もかいくぐり、祖国日本をめざす。
終戦前後の朝鮮半島と日本で、日本人引き揚げ者が味わった壮絶な体験を赤裸々に綴る、息もつけぬ、愛と涙のサバイバルストーリー
著者について
【著者・監訳者】ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ(Yoko Kawashima Watkins)
1933(昭和8)年、青森で生まれる。生後六ヶ月で南満州鉄道(満鉄)に勤務する父に連れられ、家族で朝鮮北部の羅南(現在の北朝鮮・咸鏡北道清津市)に移住。1945(昭和20)年、敗戦最中に母、姉とともに羅南を脱出、朝鮮半島を縦断する決死の体験を経て、日本へと引き揚げた。帰国後、京都市内の女学校に入学。働きながら学問に励み卒業すると、京都大学で英文学を学ぶ。卒業後、米軍基地で通訳として勤務していたが、結婚し渡米。
アメリカの子供たちに日本文化を伝える活動をしていた。
1986(昭和61)年に自身の体験を描いた初の著書である本書『So Far from the Bamboo Grove』を刊行。米国教育課程の副読本として採用され、多くの子供たちに親しまれている。1998(平成10)年にボストン図書館が最も推奨する児童文学者(Literary Lights for Children)に選ばれ、アメリカの平和団体・ピース・アビー(平和のための修道の家)より、ガンジーやマザー・テレサ、ダライ・ラマも受けたという「The Courage of ConscienceAward」をはじめ、数々の賞を受賞。
現在も、講演活動などで全米だけでなく世界各国をめぐる多忙な日々を送っている。他の著書として本書の続編にあたる『My Brother, My Sister, and I』がある。
杜父魚文庫

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