<皇太子ご夫妻は9日、ご成婚20年を迎えられた。お住まいの東宮御所(東京・元赤坂)ではごく私的なお祝いの夕食会が開かれ、天皇、皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻、皇族方が食卓を囲まれた。両陛下の長女、黒田清子(さやこ)さんと夫の黒田慶樹(よしき)さんも加わった。
この日は新聞やテレビでご成婚20年の報道が相次ぎ、国民のお祝いムードが高まった。翌10日、スペイン公式訪問に出発される皇太子さまを東宮御所で見送った皇太子妃雅子さまは、近くで取材する報道陣に「昨日はいろいろありがとうございました」と声をかけられた。小町恭士東宮大夫も14日の定例会見で「両殿下には、報道をしていただいたことについて、とてもありがたく思っていらっしゃる」と明かした。
「ヒゲの殿下」として親しまれながら、昨年6月に薨去(こうきょ)された三笠宮家の長男、寛仁(ともひと)親王殿下の御霊(おみたま)をまつる霊代(れいだい)を東京都港区の寛仁親王邸から皇居・皇霊殿に移す「寛仁親王の霊代を皇霊殿に遷(うつ)すの儀」が9日、営まれた。
皇霊殿とは宮中三殿の一つで、歴代の天皇や皇族をまつる。近くの門前で止まった車から霊代が運ばれ、長女の彬子(あきこ)さまと次女の瑶子(ようこ)さまが皇霊殿に向かわれた。97歳の三笠宮さま、90歳の三笠宮妃百合子さまはお列には加わらなかったが、儀式には参列された。療養中の寛仁親王妃信子さまのご参列はなかった。
三笠宮家とは独立して生計を営まれていた寛仁親王家だが、今後は存続しないことが関係する皇族方の合意で決まったと10日、宮内庁が発表した。信子さま、彬子さま、瑶子さまは、三笠宮さまを当主とする三笠宮家に入られた。
信子さまがご療養中で、約1年間にわたって寛仁親王家の当主不在が続くという事態は解消されたことになる。宮内庁の風岡典之長官は13日の定例会見で「少し長くかかったという思いはあるが、関係の方々の理解を得て、明確に説明できるようになったことはよかった」と述べた。
両陛下は8日、国賓として来日したフランスのオランド大統領とパートナーが宿泊していた東京・元赤坂の迎賓館を訪れ、お別れのあいさつをされた。しかし、5月下旬から土日も休みなく公務に臨んでいた皇后さまは、体力低下などのために10日から当面、一部を除いて公務を休み、皇居・御所で静養されることになった。
皇后さまは、4月には頸椎(けいつい)症性神経根症の症状で首から上腕にかけて激しい痛みを感じ、2週間にわたって治療を受けているが、宮内庁によると、この痛みでかなり体力を消耗されていたという。昨年2月に心臓手術を受けられた陛下の体調を、ずっと気遣われてきた皇后さま。風岡長官は13日の定例会見で「陛下のご不例(病気)をお支えすることでのお疲れもあったのではないか」という見方を示した。
陛下は11日から予定していた葉山御用邸(神奈川県葉山町)での静養に、2日遅れて13日に赴かれた。皇后さまは腰にも不調があり、車での長時間移動を避け御所に残られた。ただ、14日には秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さま、長男の悠仁さまが合流された。
10日にスペインに出発した皇太子さまは、日本との交流400周年の記念行事やフェリペ皇太子夫妻主催の晩(ばん)餐(さん)会に出席された。晩餐会では、東日本大震災の際にスペインから受けた支援に触れ、「こうした温かい友情と連帯の表明を通じ、両国の絆はさらに強いものとなりました」とスペイン語であいさつされた。
スウェーデンのマデレーン王女の結婚式参列のため、同国を訪問していた高円宮妃久子さまは11日、帰国された。(産経)>
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13000 雅子さま、報道陣に「ありがとうございました」 古澤襄

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