13145 エロッチクで優雅な西馬音内の盆踊り   古澤襄

明日から7月、東北は”夏祭り”のシーズンに入る。博多に三年いたので九州の祭りも見てきたが、やはり東北の祭りの方が情緒があって好きである。中でも八月十六日から三日間の秋田県・西馬音内の盆踊り(にしもないのぼんおどり)に魅せられて二年続けて見にいった。

秋田県三大盆踊りのひとつだが、端縫(はぬい)衣装の秋田美人が編み笠姿の行列で見事な踊りをみせてくれる。道にござを敷いてみるのがいい。大正時代に「風俗を乱すもの」として警察の弾圧を受けたこともあるが、エロッチクで優雅な流れるような上方風の美しい踊りを、観客は持ち込んだ酒やビールを飲みながら楽しむ。
伝承では文禄二年(1593)に西馬音内城で矢嶋城主大井五郎満安が自刃したのを悼み、遺臣・侍女たちがお盆になると城下で踊ったのが始まりだという。
四種も五種もの絹布(けんぶ)をはぎ合わせた端縫い衣裳は、母から娘に受け継がれ艶やかな彩りをみせる。男たちは踊り手が滑らないように道に塩を撒いて助けるが裏方に徹している。それと野性的で勇ましく鳴り響くお囃子は男たちの仕事。
深くかぶった編み笠だから、どれもこれも秋田美人にみえる。ほっそりとした踊り手ばかりで、夜のかがり火が美しく浮き立たせ女性の首すじを映し出してくれる。
それにしても東北には美人が多いのは何故だろう。秋田美人、青森美人、南部美人とこと欠かない。四年前に「美人考」を書いたことがある。ロシアに行った時にも北欧系のロシア美人に魅せられた。もっとも三十歳を過ぎると雌牛のようにデップリ太るのが特徴。砂糖のとり過ぎという説がある。
<朝鮮型の出雲美人、コーカサス型の秋田美人>2009.12.28 Monday name : kajikablog
司馬遼太郎は「手掘り日本史」の中で<<私たちが考えている美人は、朝鮮型>>と言っている。ポチャポチャとして、性的な魅力があるのは、朝鮮型だという。それはソウルに行くとよく分かるという。
そして出雲が朝鮮型美人の産地だと言った。王朝時代から京都のお公家さんたちは、女奉公人を出雲から呼ぶ伝統があったという。そうなると京美人は出雲美人の末裔だということになる。
私たちは日本の三大美人は京美人、秋田美人に加えてお国自慢の地元美人を数えている。博多美人、金沢美人、新潟美人などである。出雲美人といわれもピンとこない。
司馬遼太郎は日本海側の雪国美人は<<秋田ぐらいまで行くと、白皙人種ということで分類されているアイヌの血が混じっている。非常にくっきりとした目と輪郭をもった美人でしょう。どちらかといえば、コーカサス型になるのでしょう>>と言った。
山陰地方には行ったことがないが、秋田にはよく行っている。秋田の仙北市・角館(かくのだて)町界隈で、ハッとする様な美人によく出会う。色白で、肌のきめが細かく、日本一の奇麗な肌をしている。シベリアのバイカル湖には二度行ったが、日本人そっくりなブリヤート人に会った。イルクーツク大学の学生たちだったが、ロシアにも秋田美人がいると驚いた経験がある。
九州の佐賀医科大学が氷河期の後に渡来した縄文人の頭蓋骨に残された歯から遺伝子DNAを抽出して、国立遺伝学研究所のDNAデータバンクの保存データと比較研究をしたことがある。
採取に成功した29体のデータと国立遺伝学研究所の保存データを照合したら、韓国、台湾、タイのDNAと合致するものが一体ずつ。驚いたことには十七体がブリヤート人と合致している。このことは縄文人のルーツが北方のシベリアにあることを示している。縄文人のルーツが東南アジアだとされてきた学説が、科学的なデータによって覆された。
その後のDNA研究で東北人・関東人は北方シベリア系、関西人・九州人は朝鮮半島系という大まかな傾向があることも解明されている。もちろん長い年月を経て、両者には血の交流があったから、異種の日本人がふたつ存在したというわけではない
2003年6月21日にテレビ朝日が最新のDNA科学(ミコトンドリアDNA)に基づいた日本人のルーツという好番組を放映している。
それによると日本人のルーツは、大きく分けて九つのグループになり、日本人の95%が、そのいずれかに属するという。
分類 誕生地     日本人に占める割合
【D】バイカル湖西       34%
【M7】中国中部        15%
【B】中国南部         15%
【G】シベリア東部       7・5%
【A】バイカル湖付近      6%
【F】東南アジア        5%
【M9】ヒマラヤ・チベット   3・4%
【CZ】北東アジア(満州北部) 3・2%
【N9】中国南部        7%
 その他            3・9%
圧倒的に北方系が多い。ブリヤート人は古代トルコ人とモンゴル高原に住む高地モンゴル人との混血というのが定説となっている。この種族が地球の寒冷期に暖かい土地を求めてバイカル湖周辺から東漸して、その一部が、まだサハリンと沿海州が地続きだった頃、北日本にやってきたのではなかろうか。気の遠くなる様な昔の話になる。(神話と歴史 杜父魚ブログ)
杜父魚文庫

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