13148 信州には”美人系”が多い  古澤襄

「美人考」を続ける。信濃美人とは聞いたことがないが、私が知るかぎり信州には”美人系”が多い。身近なところでいえば、私の祖母・静司(明治20年~昭和2年)は、作家・一ノ瀬綾の小説「幻の碧き湖」では、<富士額のおっとりした面差しに、御所人形を偲ばせる目鼻立ちは、ひさし髪に着物がよく似合った。外出すれば行き交う人が振り向いた>と描いている。
祖母・木村静司
明治では数少ない上田高等女学校の卒業生だったが、学校では”上田小町”と評判だった。抜けるような白い肌をしていたが、美人薄命、41歳の若さでこの世を去っている。この祖母の血をひく従妹も美人、おまけにお喋りで楽しい。
さらに従妹には松井須磨子の末裔がいる。70歳になったが美人系。松井須磨子(明治19年~大正8年)は上田の尋常小学校を卒業して上京し新劇女優になった。やがて『人形の家』の主人公ノラを演じて認められ、島村抱月と芸術座を旗揚げして『復活』(トルストイ原作、島村訳)のカチューシャ役が大当たりしている。
太宰治の小説「メリイクリスマス」のシズエ子ちゃんは、上田出身の大正・昭和画壇の鬼才・林倭衛氏の長女・聖子さんがモデル。20歳前後に新潮社や筑摩書房に勤めていた頃は、ほっそりとした清楚な美人で評判だった。
いまの美人と違って”整形手術”や”つけ睫毛”を使わない正真正銘の美人たちである。信州・上田は美人の里なのかもしれない。もっとも身内の自慢をしても始まらない。
甲斐の武田信玄が愛し、勝頼の母となった諏訪頼重の息女は、掛け値なしに美しい女性だったと伝えられている。作家・新田次郎氏は諏訪湖にちなんで小説の中で「湖衣姫」と名付けた。井上靖氏は「由布姫」。
この名前の付け方で、私は諏訪に縁がある新田次郎氏と、北海道で生まれ静岡で育った井上靖氏では、諏訪頼重の息女に対する思い入れで微妙な違いがあると指摘したのが六年前。「湖衣姫」と「由布姫」はフィクションの世界の美女だが、武田信玄が諏訪頼重の息女を愛してやまなかったことは、数多い資料でも出てくる。
<井上靖氏と新田次郎氏の小説 2007.03.14 Wednesday name : kajikablog>
遅ればせながら井上靖氏の「風林火山」を読んでいる。小説新潮に連載されたものを、以前に読んだことがあったが、甲陽軍鑑に忠実な点が気になっていた。それよりも歴史読本に連載された新田次郎氏の「武田信玄」の方に惹かれた。
しかし歴史小説はフィクションと割り切れば井上靖氏の小説は優れている。発表の当時は井上靖氏の小説としては、あまり評価が高くなかったが、NHKの大河ドラマ「風林火山」によって、半世紀ぶりに蘇ったともいえる。たしか六〇年安保のかなり前に発表された小説だった。七〇年安保の頃、三船敏郎主演で映画化されたが見なかった。
山本勘介を主人公にしたドラマだから、井上靖氏の原作に拠ったのは、当然といえるが、さして評判にならなかった小説を大金をかけて、よくドラマ化したと思う。昨年の正月番組でテレビ朝日が北大路欣也主演の時代劇スペシャルとして放映したが、何かもの足りない思いをしている。
「風林火山」を読み返してみると山本勘介の人間像と哀歓が迫真力をもってせまってくる。史実があるとか、ないとかは問題でない。架空であろうと、なかろうと戦国の世を駈け抜いた一人の人間の生き様は、現代に生きる私たちの心に響くものがある。それだけにドラマ化は難しい。
武田信玄が愛し、勝頼の母となった諏訪頼重の息女を新田次郎氏は、諏訪湖にちなんで「湖衣姫」と名付けてたが、井上靖氏は「由布姫」。新田次郎氏は真田幸隆を随所に登場させているが、井上靖氏は幸隆を省いている。
諏訪に縁がある新田次郎氏と、北海道で生まれ静岡で育った井上靖氏では、諏訪頼重の息女に対する思い入れで微妙な違いがある。「湖衣姫」と「由布姫」の名の付け方に、それを感じるのは思い過ごしであろうか。
しかし山本勘介の描き方は、井上靖氏の方が深い情感が籠もっている。「風林火山」の圧巻は川中島の決戦で、信玄を守って討ち死する山本勘介の最期の瞬間を、深い哀惜の気持ちを籠めて書き綴っている。小説はそこで完結している。重要な役割を果たした真田幸隆を、あえて外して山本勘介だけに話を絞った。
新田次郎氏の「武田信玄」は、信玄が戦国の雄として飛躍する中での山本勘介でしかない。両書を読み較べながら大河ドラマをみるのは楽しい。違いがあるのは、井上靖氏が甲陽軍鑑に多くを依拠したのに対して、新田次郎氏は甲陽軍鑑も使いながら、他の信濃文書をかなり使っている点である。甲陽軍鑑と信濃文書の違いがあれば、迷わず信濃文書を使っている。
その例として井上靖氏は小説で、晴信側近の板垣信方、甘利虎泰、飯富虎昌よりも山本勘介の方を上位の軍師として描いた。甘利虎泰などは愚鈍な侍大将として山本勘介の敵役にされている。甲陽軍鑑は「信州戸石合戦の事」で、甘利虎泰を討ち死させている。
<甘利備前が討ち死なり、と御旗本に報じられたけれども、甘利勢が崩れなかったのは、晴信公が武道の名門だったあかしである。こうしてこの合戦は、晴信公の負けかと思われたのだったが、そこへ山本勘介が徒足軽二十五人を引き連れてやってきて、晴信公に申し上げた。>
山本勘介は晴信の許しを得て、騎馬武者五十騎で敵勢を攪乱して、戸石合戦は勝ったと、まさに講談調。井上靖氏の小説も甲陽軍鑑を、そのまま使った。討ち死させられた甘利虎泰こそ堪ったものではない。事実は天文十七年(1548)二月十四日の上田原の戦いで晴信の本陣を守った甘利虎泰は村上義清の軍勢と戦って討ち死している。奇しくも盟友だった板垣信方も、この日に討ち死して命日が同じ。
多分、大河ドラマは井上靖氏の原作に忠実に描くのであろう。甘利虎泰の末裔である甘利経済産業相は納得できない思いが残るだろうが、フィクションのドラマだから怒っても仕方ない。井上靖氏の原作に腹を立てるなら、新田次郎氏の「武田信玄」を読めばいい。猛将・甘利虎泰の見事な最期が描かれている。(神話と歴史 杜父魚ブログ)
杜父魚文庫

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