13192 ソ連末期に似てきた? 習近平政権に迫る「限界」  古澤襄

メディアと世論を締め付け、特権階級を拡大し、個人崇拝を復活させる――現在の共産党政権は崩壊の足音が迫っていたブレジネフ時代のソ連と酷似している
「人治」の国と呼ばれた中国で、改革派の知識人たちはずっと「法治」と憲法に基づく政治の実現を求めてきた。最近、北京の知識人たちが集まって会食すると、決まって話題になるのが「憲政」の2文字だ。もちろん憲法問題だけでなく、そこには民主政治や自由、人権についての議論が含まれる。それぞれがそれぞれの考えを激しくぶつけあうが、最後は全員が沈黙する。初夏の北京の、何とも薄ら寒い風景だ。
この議論は、去年の秋に共産党の新しいリーダーが決まってから始まった。習近平(シー・チンピン)と李克強(リー・コーチアン)が昨秋、事実上中国のリーダーになってから、今年の春にそれぞれ国家主席と首相に就任するまでの半年間、人々は注意深く2人を観察していた。ただ「実習期間」を半分も過ぎると、知識人たちは「実習生」2人の言動に失望させられた。
さらに人民日報やその系列のタブロイド紙環球時報、軍の新聞である解放軍報、党機関雑誌の紅旗文稿といった共産党系メディアが5月末、そろって「憲政」を否定する記事を掲載した。記事によれば、「憲政とは、あれこれ言っているが要するに社会主義の道を否定するもの」でしかない。習近平に対して抱いていたはかない希望は、この「冷や水」ですっかり打ち消されてしまった。
今年の初め、南方週末に対する当局による検閲が問題になった時、環球時報は騒ぎの首謀者を「アメリカにいる(盲目の人権活動家)陳光誠(チェン・コアンチョン)だ」と決め付けた。その後、メディアを統括する共産党中央宣伝部は全国各地の新聞にこの文章を転載するよう命じた。改革派に対する「死刑宣告」だ。環球時報に「死刑執行」の刀を渡したのは、習近平なのだろうか。
あまり注目されていないが、最近国家インターネット情報弁公室という組織が政府内で格上げされた。これはネットでの活発な議論に対する管理強化にほかならない。天安門事件の記念日である6月4日の前には、全国各地で改革派が拘束されたという情報が水面下で駆け巡った。
ただ、共産党が思想や世論を統一することはとっくに難しくなっている。反体制派を拘束し続けているが、反体制派の数は増えている。今から10年前、中国では公安部国内安全保衛局(国保、中国語の発音をもじって国宝、さらに国宝から熊猫[パンダ]とも呼ばれる)に事情聴取されるのは非常に恐ろしいことだった。最悪の場合、職場から辞職を迫られる危険もあった。
10年後の今、「パンダ」に話を聞かれたり、彼らと「お茶する」のは極めて当たり前の光景になった。ネットや新聞で政府と異なる見解の記事を発表している人物が「パンダ」とお茶しないのは、逆にとても不自然だ。人々はもう強圧的な政府を恐れていない。実はこれは共産党が一番恐れている事態だ。民衆が政府を恐れなくなれば、今度は政府が民衆を恐れる番だ。
この状態は70?80年代のソ連と極めて似ている。ブレジネフ書記長時代のソ連は、短期間で終わった経済改革の後、再び統制強化に向かった時代だった。メディアと世論を締め付け、特権階級を拡大する。その代わり、ブレジネフが最初は反対していた個人崇拝が復活した。江沢民(チアン・ツォーミン)、胡錦濤(フー・チンタオ)時代には後退した個人崇拝が復権し、指導者のイメージづくりが既に始まっている現在の中国と酷似している。
ソ連を崩壊に導いたのは、ブレジネフ時代末期に現れた反体制運動だけでなく、「夜の顔」現象も原因だ。執務時間と家庭ではまったく違う内容の話をする「夜の顔」現象は個人の人格分裂と社会主義思想への面従腹背を生み、最後は統治基盤を揺さぶった。
だからこそ、中国共産党はメディアを使って反体制派を威嚇している。ただそのやり方に効果はあるかどうかは疑問だ。ソ連共産党はノーベル文学賞を受賞した『収容所群島』の作家ソルジェニーツィンを国外追放した。中国共産党の反体制派に対するやり方とまったく同じだ。たどる道も恐らく同じだろう。
改革派、保守派ともに「憲政」議論は続いている。反体制派が集まって食事しただけで事情聴取する「集合食事罪」の摘発に「パンダ」たちは忙しい。習はロシアのプーチン大統領に「あなたと僕は似ている」と言ったらしい。これでは「習大大(習おじさん)」でなく「習大帝」だ。慎重居士の李首相はまだまともに発言すらしていない。
来年の秋には、任期中の方針を決める重要会議「3中全会」が迫っている。国民よりずっと忙しい習と李に、残された時間は実は多くはない。(ニューズウイーク Newsweek Japan)
杜父魚文庫

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