<【ワシントン時事】エジプトで事実上のクーデターが進行していた米東部時間の3日午後、ケリー国務長官が地元マサチューセッツ州沖のナンタケット島付近でヨットを楽しんでいたことが分かった。5日のワシントン・ポスト紙(電子版)などが伝えた。
国務省は当初、事実関係を「全く不正確」とし、ケリー長官がエジプト政変に対応していたと否定。しかし長官がこの日、ナンタケット島にいたことを地元メディアに突き止められると、一転して「短時間、ヨットに乗っていた」と認めた。(時事)>
<<エジプトのクーデター、米国の影響力の限界を浮き彫りに 米ウォール・ストリート・ジャーナル>>
ケリー米国務長官が2日にアムル・エジプト外相に電話したとき、同長官はまず、アムル氏がまだエジプトの外相であるのかどうかを尋ねた。エジプトでの混乱が続く中で、米国の外交官トップにはこのことがはっきりしていなかったのだ。
アムル氏はその数時間前に辞表を提出していたが、とどまることに同意した。ケリー氏は自らのメッセージを伝えた。つまり、エジプトのモルシ大統領は劇的な行動が必要で、強まる混乱を鎮め、軍事クーデターを回避するために、新しい大統領を選ぶ選挙の実施、「真の」連合政府と新首相の誕生に同意すべきだ、というものだった。2人の会談に詳しい当局者が明らかにした。
モルシ大統領はこれらを拒否、2日後の自分自身の転覆の舞台作りをした。
この瞬間は、依然として政変に襲われている中東の一国での事象に対するオバマ政権の限られた能力を浮き彫りにするものだった。
最近の米国の対エジプト政策の立て直しは、米当局者は行き詰まり状態が構築されるのを目にしながらも、モルシ氏に退陣を説得することができないことをうかがわせている。
同様に、米国がクーデターに対する静かな警告を発する手段となった、よく構築された軍同士のチャンネルも、実際は取るに足らないものであることが判明した。
それどころか、かつては最も親密な同盟国の1つだったエジプトが再び政変に揺さぶられる中で、米国はほとんど傍観者だった。米国は当初、モルシ氏との協力という見通しに勇気づけられていたが、その後、同氏に失望し、最終的には同氏の追放を止める上でほとんど何もできなかった。事象を形作るようなテコを持っていなかったのだ。
最終的に米国はエジプトの両派とは最悪の結果で終わったかもしれない。反体制派は米国はあまりにも長い間モルシ氏を支援してきたと考え、イスラム主義者は米政府が戦術的にクーデターを支援したと考えている。
米国務省での勤務経験をもち、オバマ政権でエジプト政策のアドバイザーを務めたミシェル・ダン氏は「われわれはエジプトの両派を遠ざけた」と指摘した。
エジプトの軍事行動をめぐって、オバマ大統領が慎重な言葉を使った反応には、モルシ氏に対する曖昧さが表れている。大統領はこの中で「クーデター」という言葉を使うまでには至らず、また、モルシ氏には触れずに、エジプト軍に対して「民主的に選ばれた文民政権」を回復させるように促した。
米当局者は、エジプトのケースは異例だとして、自分たちのアプローチを擁護している。クーデターが起こるまでの間に米国の外交官は、反政府勢力への勇気づけや軍の介入を避けるためにモルシ批判を口にしないという、彼らに言わせれば「ナイフの歯」というアプローチをとっていた。
ホワイトハウスは、ムバラク政権が倒れた後に昨年権力を握ったモルシ氏とそのイスラム政権を当初は受け入れていた。米当局者は、この関係を、新しい政治時代におけるアラブ世界とイスラム世界に対する西側の関与政策の1つのモデルとみなしていた。
米国は、イスラエルとパレスチナ武装勢力ハマスとの昨年11月の停戦をもたらす上で、モルシ氏のオバマ大統領への協力ぶりに勇気づけられていた。ハマスはモルシ氏の出身母体であるムスリム同胞団の派生組織だ。ムスリム同胞団はイスラム法にのっとった支配を是としている。
オバマ大統領は非公式にその11月に、モルシ氏とつながりができたと思うと述べた。同月20日、アジアに向かっていたオバマ大統領は大統領専用機からモルシ氏に電話を掛け、ガザ問題での支援に感謝の意を伝えた。当局者によれば、米国はまた、テロ対策でもモルシ氏から良い協力を得られたとみていた。
しかし、ホワイトハウスがガザ問題でモルシ氏を称賛した数日後、同氏は司法権を制限して大統領の権限を大きく強化する布告を発表した。伝統的に米国と協力関係にある世俗派を含むエジプトの野党は、モルシ氏が米国の黙認の下で権力を掌握しようとしていると批判した。
パターソン駐エジプト米国大使は12月、モルシ氏とその顧問たちに対し、緊張を和らげるための内閣改造について、詳細な提案をし始めた。米国側は同氏と同氏の側近に、妥協は「降伏と同じではない」と伝えた。しかし、モルシ氏は聞く耳を持たなかったという。
元当局者によると、モルシ氏の権威主義、特に裁判官の粛清に対するエジプト国民の反発が高まる中で、ホワイトハウスは公に同氏を批判するのに消極的で、このことがオバマ政権内部の亀裂を深めることになった。
この元当局者によると、ドニロン大統領補佐官(国家安全保障担当)は特にモルシ政権批判に慎重だったという。この結果、ドニロン氏と国務省当局者との間に内部対立が生じた。国務省のこれらの当局者は、モルシ政権の動きが米国にとって憂慮すべきものになっているということをもっと公にすべきだとの見解だった。米政府は非公式にはモルシ政権の動きに抗議していた。
中近東担当国務次官補を務めたタマラ・コフマン・ウィッテス氏は「米政府は、モルシ氏が持続可能な民主主義のための状況を作り出すような方法で統治していないということを認識するのが鈍かった」と指摘した。
モルシ氏への米政府のアプローチを擁護する人たちは、ホワイトハウスと国務省は静かな外交によってモルシ氏の考えを変えさせようとしたと説明する。これは1つには、米国は新たな混乱を起こしたくなかったからだ。
軍最高評議会の議長を務めるシシ国防相と米国との接触は、今回の対立がどこに向かっていたかについて、初期の手掛かりを与えてくれていた。
シシ氏とその他のエジプト軍指導部は、エジプト軍部が何を最も恐れているか──モルシ氏を権力の座にもたらしたようなデモの盛り上がり──をめぐって、米国防総省とホワイトハウスの指導部に無愛想な態度をとった。エジプト軍部は、このようなデモは同国をイスラム主義者と非イスラム主義者に分断し、これが長引けば全国的な規模で衝突が起こると述べていた。
米国の元当局者は「軍部は街頭の群衆を自分たちの目で見ていた。彼らは『街灯の群衆はもういい』と述べていた。群衆は何を欲しがっているんだ?われわれは欲しいものを彼らにあげようと言った」と話した。
ヘーゲル国防長官は4月の初めてのエジプト訪問中に、シシ氏との長時間の昼食のあと、情勢を安定化させるエジプト軍の役割に勇気づけられたようだった。この2時間以上の会食の間──話題の中心はシリアだったが──シシ氏は通訳を通してよりもむしろ英語で詳細な話をしていた。ヘーゲル氏は後にシシ氏に感銘を受けたと側近たちに述べた。
同長官はモルシ氏とも話し合ったが、これはシシ氏との場合ほど個人的なものではなかった。この中でモルシ氏は、シリア危機を終わらせるための、イランの支援を盛り込んだロードマップ(行程表)を提示した。だが、これは米国側には受け入れられなかった。
パターソン大使のモルシ氏に対する個人的な圧力にもかかわらず、多くのエジプト国民は大使はモルシ氏とエジプトの新政権に肩入れをしすぎたと見ている。大使は今月の騒乱を前にした数週間にエジプトで2つの主要な講演をし、同国のビジネスマンと学者らに対し、ムスリム同胞団の政権にもっと建設的に関与するよう忠告した。
大使は先月18日のあるシンクタンクでの講演で、「街頭での行動は選挙よりも良い結果をもたらすという人たちがいるが、はっきり言って、米政府と私はこれに極めて懐疑的だ」と述べた。
最近のエジプトでの抗議行動の規模は米国をはじめとする各国政府を驚かせ、モルシ氏の追放前の1週間は活発な外交が行われた。
デンプシー統合参謀本部議長は先月28日、エジプト軍幹部に電話をした。ヘーゲル長官は先週、シシ氏に電話をかけ、2日にもう一度電話で協議した。当局者によると、2人ともエジプト軍にクーデターを控えるよう促したという。
オバマ大統領と国務省当局者からの公のメッセージは、モルシ氏に向けたもので、反政府派の要求に直ちに対応する必要があるとするものだった。モルシ氏が追放されるまで、米国はあからさまにシシ国防相への批判を控えた。この統一性のない姿勢は、一部の人に米国はクーデターを望んでいたと考えさせることになった。
米国はモルシ氏とその側近への最後の電話で、新首相の指名など具体的な提案をしていた。
ヘーゲル長官は2日のシシ氏との電話協議ではもっと強くクーデターに警告を発したが、シシ氏は態度をはっきりさせなかった。シン氏は、軍事介入を実施することは望んでいないが、早急に秩序を回復させる必要があると述べたという。
米政府高官は、今回のエジプトクーデターから得た教訓として、何十年にわたる協力で育まれてきた米軍とエジプト軍の指導者間の架け橋でさえ、限定的な影響力しか持たなかった点を指摘した。(ウォール・ストリート・ジャーナル)>
杜父魚文庫
13222 クーデター時にヨット=「短時間」と弁明-ケリー米国務長官 古澤襄

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