七月九日午前十一時三十二分、東京電力福島第一原子力発電所所長であった吉田昌郎さんが亡くなった。彼は、二年前の三月十一日、東日本巨大震災による巨大津波によって全電源を喪失した東京電力福島第一原子力発電所の所長であり、現場で東電の仲間と共に、死の淵を見ながら、事故収束、即ち、日本を救う任務を完遂した。享年五十八歳だった。
七月六日、
大阪で、高校の時に、私も教えられ吉田昌郎君も教えられた共通の恩師と食事をしながら、吉田君の話になった。吉田君と私は、学年は違うが同じ大阪教育大学附属天王寺高校に学んだ同窓生だ。
「先生、吉田君はどうしているんだろうか。健康を回復しつつあるのでしょうか」
「吉田君は、口封じされたのではないか」
彼は、ガン治療の為に手術をした直後の昨年七月、脳内出血のために倒れ、以後療養を続けて外部に現れることはなかった。
しかし彼は、その脳内出血の十日前までノンフィクション作家の門田隆将氏のインタビューを受け、福島第一原発の事故の状況と原子炉鎮圧に向かう東電職員の命をかけた奮闘そして菅内閣の事故への関与状況を語っていた。
そして、そのインタビューは、門田隆将氏によって、昨年十二月、「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日」(PHP)という感動的なドキュメントにまとめられた。
七月九日、
午前、テレビのテロップに吉田昌郎君死去の報が流れた。残念だと思うと共に、三日前に恩師と吉田君のことを話したことが思い起こされた。
七月十日、
午後、東海道新幹線から東北新幹線に乗り継ぎ、福島県新白河駅に向かう。夕刻近く、勿来の関を越えて東北らしい植生の風景を車窓から眺めて、吉田君も福島第一原発所長になってからたびたびこの列車でこの風景を眺めたのだろうと思った。
晩、西郷村の林養魚場で、参議院議員中山恭子さんの座談会に出席する。郡山周辺で除染作業に従事している知り合いの青年が参加したので、彼に「除染の話はここでするなよ。これほど住民に評判の悪いものはないんだから」と言っておいた。
”菅馬鹿内閣”の置き土産がまだ続いている。
七月十一日、
東京での朝食会で、次の通り発言した。「電力総連は原子力発電所で働く連中からなる労働組合である。彼らは、福島第一原発をはじめ全国各地の原発で働いている。
その彼らが、反原発の元首相である鳩山や菅の民主党を、日教組や自治労の左翼組合と一緒になって支持できるはずがないではないか。日本の再生のためには、連合分裂が必要である。」
七月十日の朝刊には、吉田昌郎君死去の特集が組まれていて、あの原発事故のときの総理大臣や通産大臣や原発大臣のコメントや写真がでていた。これらは今も、参議院選挙で表に面を曝している連中だ。
これら、役に立たず、かえって現場の邪魔をした連中が、よくぞまあコメントを出しているものだと思う。はっきり言って、吉田君が脳内出血で倒れてホットした連中ではないか。
彼らは内閣の中枢にあって、この未曾有の原発事故に対し、一体何をしたのか、何をしようとしていたのか、泣いただけのやつもいる。
彼らは厳しく検証し糾弾されるべき人物である。そうでなければ、事故の正しい有益な教訓が後世に伝わらない。
私は、吉田昌郎所長率いる東電の現地部隊と東京の菅内閣の関係を見るとき、沖縄戦における現地の三十二軍司令部と東京の大本営の参謀連中の関係が連想されて仕方がない。
沖縄戦において、日本の第三十二軍の頑強な組織的抵抗を崩壊させたのは、現場を知らない東京の大本営の横槍であったからである。
当初沖縄の現場では、圧倒的な空と海からの火力を背景にして上陸してきた十六万八千のアメリカ軍の侵攻を、三十二軍は頑としてくい止め膠着状態にして日々敵に出血を強いていたのである。
要塞化した嘉数の丘の抵抗がその典型的な戦法であるが、数に任せて戦車などを繰り出して侵攻してくる敵を、日本軍は地下に立て籠もって連日打撃を与え続けていた。
ところが、アメリカ軍が前進できずに日々消耗している状況に気をよくした大本営は、三十二軍に華々しく決戦に出て決着をつけよとしつこく強要するようになる。
ついに三十二軍は、大本営の執拗な指令を受け入れて要塞から地上に出た。すると、アメリカ軍の空と海からの砲爆撃によって地上の敵に遭遇する前に粉砕された。以後、日本軍の潰走と崩壊が始まった。
そして、この大本営の指令の誤りとその責任の所在は、三十二軍の崩壊と司令官や参謀長の自決によって検証されることなく終わり、現在に有益な教訓を残すことがなかったのだ。
この度の全電源を喪失した福島第一原発が、この沖縄戦のような様相、つまり冷却失敗・メルトダウンそして崩壊を回避できて沈静化したのは、
現場の吉田昌郎所長と部下の東電職員が、決死の覚悟で当初の方針を貫き、頑として東京の馬鹿内閣と東電本部の指令を受け入れなかったからだ。
このことが明確である以上、吉田昌郎君が永遠に沈黙したからといって、菅内閣の面々は後世への教訓のために実施されるべき厳しい検証を免れると思ってはならない。
吉田昌郎君は、日本を救った現在の英雄である。国家最高の英雄勲章を与えられるべきである。
杜父魚文庫
13306 嗚呼、吉田昌郎君、逝く 西村眞悟

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