<東京のJR上野駅が開業から130年を迎え、東北などの列車が発着するホームでは、28日朝から、発車の合図に、かつての集団就職にちなんだヒット曲「あゝ上野駅」のメロディーが流されています。
JR上野駅は、山手線から新幹線までが乗り入れる東京のターミナル駅の1つで、明治16年の開業から28日で130年になります。
東北などからの北の玄関口として発展し、1番から22番まであるホームのうち13番ホームには、日本の高度成長期、集団就職の人たちを乗せた臨時の夜行列車が到着しました。このため13番ホームでは、午前7時53分発の臨時列車から、発車の合図に集団就職にちなんだヒット曲「あゝ上野駅」のメロディーが流されています。
「あゝ上野駅」は、青森県出身の歌手、井沢八郎さんが歌い、昭和39年に発売された曲で、「金の卵」と呼ばれ集団就職で上京した若者たちの心の応援歌として今も歌い継がれています。28日、駅構内でもこの曲が演奏され、足を止めて聞き入る人の姿もみられました。
昭和34年に15歳で北海道から上京し、東京・墨田区の工場で働いたという70歳の男性は「40時間かけて上野駅に到着し、雑踏を見て、これが東京かと驚いたのを思い出します。望郷の念にかられたときに何度も聴いた『あゝ上野駅』が、駅のメロディーとして流れるのをずっと待っていましたが、ようやく聴けて涙が出ました。上野駅は自分にとって人生の始発駅です」と話していました。
■日本の歴史を刻む「心の駅」
上野駅は130年前の明治16年7月28日、埼玉県の熊谷との間を結ぶ鉄道の始発駅として開業し、レンガ造りで瓦ぶきの最初の駅舎が、明治18年に完成しました。その後、鉄道が青森まで延び、東京の北の玄関口として発展しました。
最初の駅舎は、90年前の関東大震災で焼けますが、昭和7年、今の駅舎が完成しました。鉄筋コンクリート製の地上3階、地下2階の駅舎で、車寄せが設けられるなど近代的な設計になりました。
駅舎は戦後も焼け残り、昭和30年代から40年代にかけては集団就職列車の終着駅となり、東北などから上京した若者にとっては、昭和33年に完成した東京タワーなどとともに、心の風景のひとつにもなっています。
そして昭和47年、日中国交回復を記念して、上野動物園に、ジャイアントパンダのカンカンとランランが来園し、最寄り駅の上野駅は、パンダを一目見たいという多くの人でにぎわいました。
さらに昭和60年には東北新幹線と上越新幹線の終着駅となりました。
その上野駅に転機が訪れたのは平成3年。新幹線が東京駅まで延長され、終着駅としての座を奪われます。そして、今後、東北線と東海道線が直接結ばれるなど北の列車の終着駅のイメージは薄れつつありますが、多くの人にとって上野駅は、今も「心の駅」として記憶に刻まれています。(NHK)>
杜父魚文庫
13484 開業130年で「あゝ上野駅」流れる 古澤襄

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