13488 奇襲、辞意表明…橋下氏が抱える憂慮とは?   古澤襄

大阪側が仕掛けた“奇襲”は、筋書きのないドラマだったのか、それともシナリオ通りの展開だったのか。27日午後、東京・赤坂の日本維新の会国会議員団本部で開かれた執行役員会。共同代表の橋下徹、幹事長の松井一郎が申し出た辞意は、東京側の国会議員団幹部らの強い反対で撤回され、続投が決まった。
冒頭の写真撮影が終わり、記者団を退席させた後に始まった会議。最初に辞意を口にした松井に続き、隣に座る橋下が発言した。

「来年秋に想定される大阪都構想の是非を問う住民投票に専念したい。形式的に共同代表にとどまるのは、私の生き方としてつらい」。政調会長の大阪府議会議長、浅田均まで「一蓮托生(いちれんたくしょう)です」と同調した。
「橋下君が辞めたら僕は死んでしまう」。共同代表の石原慎太郎が焦りをみせ、東京側の幹部らも「党に欠かせない存在だ」などと次々と慰留した。「維新は最後は多数決で決める政党だろ」。東京側幹部の提案で挙手が求められ、辞任反対が多数を占めた。
「そういうことなら、これからも全力を尽くします」。橋下は最終的に折れたが、自身が国会議員でないことを強調し「これは絶対マイナスになる。(形式的な代表続投は)禍根を残しますよ」と忠告。だが、石原が半ば強引に引き取り、最後は石原の音頭で、1度だけ手をたたく「関東一本締め」でお開きとなったが、拍手の音はまばらだった。
「大阪から日本を変える」。これが、橋下や松井らが国政政党を立ち上げた最大の目的だった。統治機構の再構築、既得権益の打破など、かつてない大改革は、永田町や霞が関、業界団体、公務員労働組合などの巨大な勢力・組織にしがらみがない自分たちだからこそできるという強い自負心が、モチベーションの源泉となっていた。
だが、参院選で膨らまなかった維新への民意は、橋下の自信に痛烈な打撃を与えた。橋下は「自治体首長が率いる政党」の限界を感じ取ったのかもしれない。
維新内部では、これまで内包してきた「大阪維新VS旧太陽の党」という構図だけでなく、「大阪組VS永田町組」という第2の東西対立構造も芽生えていた。
「今さら6月の話をするなんてどうかしている」。大阪維新出身のある衆院議員は参院選後、橋下への批判を口にした。元文部科学相の中山成彬(なりあき)が6月のインターネット番組で、橋下について「代表と認めていない」と発言したことについて、橋下が一時、中山に離党を求める考えを示したことへの不満だった。議員は、橋下が必要性を強調する野党再編についても「参院選で維新に入れてくれた人への冒涜(ぼうとく)や」と語った。

九州選出の衆院議員は「大阪での改革が信頼となり、昨年の衆院選の躍進につながった。今は大阪での改革も進まず、足元が固まっていない」と指摘。橋下や松井の大阪府市政での改革が順調さを欠くことへの当てこすりだった。
橋下人気にあやかり衆院選で初当選した「橋下ベイビーズ」と呼ばれる1年生国会議員ですら口にし始めた橋下批判。かつてない“創業者への反旗”だった。
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結党10カ月にして、激風が吹き荒れた維新。橋下が表舞台から去れば、核を失い、組織瓦解(がかい)の危機に直面しかねない。石原らにとって、橋下の辞任は組織防衛の観点からも到底承服できないことだった。
「参院選後の橋下代表の言葉の端々に、辞意表明の空気が感じられたが、役員会では慰留する」。執行役員会の直前、大阪側の幹部は悲壮感を漂わせた。「辞めれば党内が大混乱するだけだ」。旧太陽系の幹部も強調した。
大阪出身の衆院議員は、ため息交じりにつぶやいた。「維新には新しい役者が必要だ。でも、橋下さんに代わる役者はいない」
曲折の末、橋下らの続投は決まった。だが、内部の火種が消えたわけではない。橋下にとって、進むも引くも、いばらの道が続く。(敬称略 夕刊フジ)>
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