七月二十七日の夜は、堺の三カ所の盆踊り会場を訪れ、顔見知りの人々、支援を頂いている皆さんに挨拶をして廻った。その中で、上之の陶荒田神社境内に掲げられていた明治天皇の御製を拝した。そして、言いしれぬ感動に包まれた。
明治天皇御製
目に見えぬ 神に向かいて 恥じざるは
人の心の まことなりけり
この御製こそ、現在の我が国の政治に最も欠けている「人の心のまこと」とは何かを、最も深く適切にそして分かりやすく啓示されたものだと思えたのだ。
その上で、一夜明けた今日までの参議院選挙結果に対する各野党代表者や幹部から出そろった発言を思い起こしてみた。
結論から言うならば、まことに恥ずかしい。彼らには、現在我が国を取り巻いている日本を日本でなくしてしまい、日本人を日本人でなくしてしまおうとする内外の厳しい謀略と暴力が見れども見えない。
そして、ただ「野党連合」を口走っている。
曰く、巨大与党に対処するには野党連合しかない。
曰く、その連合の時期は国政選挙が三年後まで待たねばならないのだから三年後の選挙直前にするべし、今直ちに連合を組む必要はない。
曰く、君、辞めないでくれ、私ら困る。
これらの発言から見えてくる彼らの言動の動機は、ただ選挙に有利になるように行動したいということである。つまり、これは、選挙を「興業の場」とする芸能プロダクション的政党運営そのものなのだ。
そして、何がしたいのか。それは、規制改革、行政改革、既得権益廃止、道州制、都構想・・・。彼らは、日本が日本でなくなって、規制改革も行政改革も道州制も都構想もへっちゃくれもないことが判らないのだろうか。
国がどうなっても地方分権や規制緩和が大切なのか。ただ、石原慎太郎さんだけが、「憲法改正」を目指していると発言しただけだ。
そこで言う。今我が国の急務は、「日本を断じて失わない」体制の構築であり、その為に我々は真の憲法を取り戻さねばならない。
従って、もはや与野党はない。政治家各位は、この内外の危機を克服するための国家の緊急課題に如何に対処して、ただ一回だけの人生の使命を果たさんとするか、神に向かいて「恥じざる人の心のまこと」を尋ねなければならない。
従って、今必要なことは、与野党を縦断してその地下に横たわる「護憲か改憲かの活断層」を動かして政界を編成し、一挙に憲法改正さらには自主憲法制定に向かうことである。
このように、現在の我が国家の緊急かつ救国的課題を摘出して本年の国会を眺めれば、通常国会冒頭の衆議院本会議場における平沼赳夫先生の真正面から憲法改正・自主憲法制定の必要性を訴えた戦後初めての代表質問の国家の運命にかかわる歴史的意義が見えてくるのである。
まことに、神に向かいて恥じざる人の心のまことから発した歴史的質問であったのだ。
昨夜の陶荒田神社境内の明治天皇の御製に深く感じてしたためた次第である。あと三日で八月に入る。即ち、靖国神社の英霊の月となる。
そして、我が国の雰囲気が、国体護持、誇りある日本の再興に向かって、がらりと変わることを肌で感じることになろう。従って諸兄姉、英霊と共に、まさに現在せまりつつある「国難」に勇気を持って対処していこうではないか。靖国神社でお会いしましょう。
杜父魚文庫
13524 人のこころのまことなりけり 西村眞悟

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