13640 書評『日米衝突の萌芽 1898-1918』  宮崎正弘

ドイツの巧妙な情報戦略にのせられた米国と日本が戦争に至ってしまった。レーニンを亡命先からロシアへ連れ戻したのもドイツだった。
<<渡辺惣樹『日米衝突の萌芽 1898-1918』(草思社)>>
浩瀚、568ページ。さて、読む時間をどう作るかが大問題である。二ヶ月近いツンドクののち、ようやく夏休み第二週に読書時間を確保できた。
二日がかりで読んだ。じつに愉しい、エキサイティングな時間だった。いまバンクーバーにいる渡辺さんに、まずは読了の報告をしなければと思った。
概略を簡潔に紹介すると世界歴史の裏舞台で展開されていた地政学的な政治と軍事の確執を軸に野心を抱く人物たちの思惑と行動が交錯する物語である。
前作と同様に、陰の主役、ロビィスト、フィクサーが躍りでてくる。どんな歴史書にもほとんど登場しない人物らが陰でワシントン政界を操っていた。
端緒はスペインとポルトガルの世界分轄戦争、植民地化の流れを本書の基礎におくことからはじまり、マゼランの世界一周航海が布石に置かれる。マゼランはドレイク海峡の手前の入り江から、太平洋につながる航路を発見し、香料群島へと航海を急いだ。
マゼランはポルトガル人で本名はマガリャンイスという。ある時からスペイン人になりすまし、南米から中米沖合、ハワイを経てフィリピンへ到る航路を発見したことになる。しかしマゼラン自身はフィリピンのセブ島東海岸で酋長との戦いで戦死した。
この前後の米国はと言えば、西海岸へいたるまでインディアンを大量の虐殺し、ゴールド・ラッシュに湧いた西河岸へと鉄道敷設を急いでいた。これが「開拓者精神」なるものの実態だった。人力が不足すると中国から苦役労働者(クーリー)を大量に輸入してカリフォルニアへ投入した。
広東からかき集められたクーリーは人間としての扱いを受けなかった。
まだ太平洋へ本格的に侵出するという発想はなく、だからこそ日本の露西亜との戦いを金銭面で支援した。セオドール・ルーズベルト大統領は新渡戸稲造の『武士道』を友人らに配るほどだったから日本では同大統領を「親日派」と誤解した。
同じ頃、スエズ運河で大もうけしたフランス人実業家兼冒険家のレセップスは64歳にして43歳もはなれた女性と結婚し、派手なパーティを連日開いて、つぎはパナマ運河と朗らかに謳っていた。
レセップスのパナマ運河は途中から資金が集まらなくなり、歴史的な大工事の三分の一ほどで倒産してしまった。詐欺だと訴えられ、敗訴したとき、法廷に立っていたのは息子で、レセップスは裁判中に死んだ。
このパナマ運河の開拓プロジェクトの後継権益を米国が狙っていた。世界戦略上、是非とも必要と判断したワシントン政界の裏の動きを本書は克明に時系列に書き込む。
太平洋への近道を確保するには、ぜったいに欲しいパナマ運河。コロンビアに滅茶苦茶な理由を付けて戦争を仕掛け、パナマを強引に引き離して米国のものとするや、十年かけて強引に運河を建設した。あの阿漕な遣り方、その強引な外交手法は今日のワシントン政治にも影を落としている。
つまりフィリピンを領有しても、米国の不安は、距離的に近く海軍力の発達していた日本がフィリピンを領有してしまうのではないかという、日本からみれば信じられない強迫観念にワシントンは取り憑かれていたのである。
なぜか。目の前にドイツ海軍の太平洋への大々的進出があったからだ。
「アメリカが当初予定していなかったフィリピン買収を決断した大きな要因の一つが、マニラ湾周辺で遊弋を続けるドイツ艦隊の存在だった」
なぜなら「スペインの米西戦争での敗北を受けてドイツは(スペインに代わる)ミクロネシアにおける盟主たらんと欲した」からで、既にドイツはマーシャル群島をおさえ、グアムをのぞくマリアナ諸島、カロリン諸島、パラオ諸島をスペインから買収済みだった。
▼演出だった米海軍大艦隊の「友好親善」派遣を日本は勘違いした
米国はドイツを前に日本の出番を先制して牽制する必要があった。
そのために軍艦を大量に横浜へ派遣して「友好親善」のセンセーショナルな訪問を演出する。ところが、日本はこれを平和友好の証と信じて大歓迎する。
米艦部隊を歓迎するために沖合に出迎えた日本の艦船は戦艦、巡洋艦など十六隻。米国が怖れたのは、この出迎えの日本海軍が突如、米艦隊を攻撃することだった。もし攻撃されたら米国海軍は殲滅に近い打撃となること、薄氷を踏む思いで日本にやってきたのである。
こうした歴史が、じつに面白く物語風に語られるから、あるいは『三国志演義』を読むような波瀾万丈の緊張を読者にともなわせる。この盛り上げ方のうまさ、渡辺惣樹氏の筆力には端倪すべからざるものがある。
さて。評者(宮崎)は本書を通じて初めて知った史実がある。
それはドイツがいかに反日の嘘宣伝を欧米で繰り返して、日米離間を謀ったか、という薄気味悪い暗躍工作、情報活動の舞台裏である。
「メキシコに一万の日本兵が偽装して駐在している」「日本人が西海岸に病原菌を運ぶ」「日本艦隊はハワイをとりにくる」などの嘘放送を、ドイツは巧妙に仕掛けて回っていた。
おりからシナ人排斥ムードだった西海岸ではシナ人と日本人との区別がつかず、日本人移民排斥がカリフォルニアで圧倒的な勢いをみせていた時でもあった。
「ドイツにとってカリフォルニアの人種問題(日本人排斥運動)は、その目的達成のためには実に都合のよいツールでした」
日本人移民の排斥と日本の悪印象をアメリカ人に植え付けることは、ドイツの国益でもあり、情報戦争は世界史的意味から言えば常道であり、政治を倫理でみる日本人には到底理解しがたいアンモラルだろう。

だが、これぞ世界のリアル・ポリティックスの世界だ。
軍事バランスをみても、当時のアメリカ海軍とドイツ海軍は、むしろドイツが有利だった。アメリカの「海軍大学では何度も対ドイツ戦の机上演習が繰り返され、そのたびにドイツ海軍有利の結果が出ていました」
そうだったのか、米海軍はまだ世界の海に遊弋してはいなかったのだ。
きわめつけの黄禍論はハースト家のだすイエロー新聞がひろげたのだが、その出鱈目な反日報道より、漫画がもっとも効果的だった。
ドイツ人画家をつかってヴィルヘルム二世は「東方から黒雲に乗って現れる仏陀」を書かせ、ヨーロッパ上空には「十字架が描かれ、キリスト教文明国の団結を暗に訴えて」いる構図だった。
この悪辣な風刺漫画を効果的にばらまき、日本の進出を事前に防御しようと画策した。
この結果、「三国干渉」によって日本は屈辱的後退を余儀なくされ、ドイツは(1)日本のアジア大陸進出を阻止し、(2)遼東半島返還の見返りに中国の特区を日本に与えたが、ドイツの最大の眼目は「露西亜の関心をヨーロッパからそらすこと」にあった。「北海の制海権をめぐる独英のせめぎ合いを念頭におけば、(中略)これはドイツの本国の安全保障に直結する」。
そして火事場泥棒のごとくドイツは山東半島に進出し、青島に自らの軍港をひらき、町全体にドイツ風な家屋をたてて下水道を完備させ、「小さなベルリン」と変えた(だから青島はいま行っても美しい町である。ドイツは青島にビール工場も建てた)。
抜け目のない英国は、山東半島の威海衛を租借した。この軍港沖にある劉公島は日清戦争のときの清海軍基地だった。
 ▼アメリカ外交は頓珍漢だったのか?
他方、アメリカは「ドイツが日本の朝鮮支配容認に反発する可能性を見越して」おり、「アメリカ外交にとっては、日本の関心をフィリピンに向けないことが肝要でした」
爾後、シナをめぐる列強の衝突の歴史は割愛するが、たとえば第一次上海事変の背後にドイツがあり、蒋介石軍隊を訓練し武器を供与したのもドイツであり(それは日独伊三国同盟の最中にさえ)、要するにドイツは信用がおけない素質があるのである。
けっきょく、第一次大戦中もドイツは「亡命先のスイスからレーニンをロシアへ連れ戻した」
それも「イギリスとフランスはケレンスキー暫定政権の崩壊以降、ソビエトロシアの(対ドイツ)戦線離脱を極度に怖れていました。東部戦線にドイツを何としてでも留めておきたい。それが英仏両国の願いでした。そのための最も効果的な方法は日本にシベリア出兵させることでした」。
話を現代に飛ばしても、この構造は変わらない。メルケル首相は2012年に二回、大デレゲートを率いて訪中したが、とくに二回目は反日暴動直後のことだった。パナソニック、トヨタなどが放火された。そしてベンツとフォルクスワーゲンが工場の大拡大を発表した。
まさに平仄が合う。前のパターンとそっくりではないか。ましてドイツの新聞論調をご存じだろうけれど、『南ドイツ新聞』も徹頭徹尾「反日」である。人民日報と同じかと思うほど出鱈目な日本分析がいまも、現実におこなわれているのである。
この浩瀚をすべて網羅することはできず、興味の深い読者は是非、本書を読んでいただきたい。渡辺氏が、本書で扱ったのは、1898年(米フィリピン領有)から1918年(第一次世界大戦終結)までの二十年の出来事。しかし「この短い間に起きていた事件の連鎖を紐解くことで、1941年の日米衝突に到る道筋(萌芽)が見えてくる」のである。
杜父魚文庫

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