なぜヤンゴン新空港プロジェクトを日本企業連合が取り損なったのか。日本は対ミャンマー援助の過去の累積5000億円をチャラにして差し上げた。そのうえ、ティワナ工業団地造成などで新しく910億円を供与する。ものすごい大盤振る舞い。
さてヤンゴン新空港の入札だが、確実と思われた日本企業連合(中部国際空港など)が土壇場で外された。
第二の都市=マンダレー空港の改修工事と運営は、かろうじて日本企業連合(三菱商事連合)が抑えたが、目玉のハンタワディ新空港工事入札はなぜか韓国勢が獲得した。
そしてヤンゴン空港の運営はミャンマー最大のコングロマリット企業「アジア・ワールド」が競り勝った。
このアジアワールドというのはミャンマー経済を牛耳るマンモス。黒幕は先月死んだロー・シンハン(中国名=羅星漢)である。アジアワールドの輸出額だけでもミャンマー経済全体の半分を占めるという数字もある。
ロー・シンハンとはそもそも何者か? 7月6日に推定年齢80歳で大往生を遂げたローは「麻薬王」と「ビジネス大君」という二つの称号を持つ不気味な存在だった。
ミャンマーの暗黒街と実業界を同時に牛耳って、軍隊とギャングと実業界の未確定領域(これも黄金の三角地帯)というミャンマーの闇をリードした。
表向きの顔は「アジア・ワールド」の経営者である。このアジアワールドはミャンマーの港湾、ハイウエイ、そして中国と結んだ石油、ガスのパイプライン工事を担当して、その中国との特殊な関係を誇った。
ローの葬儀には陸軍将軍、閣僚らも出席し、壮麗な葬儀車が町を練り歩いた。
ローはゴルフ場も経営していた。ダム建設にも携わり、バス会社を経営し、ヤンゴンの目抜き通りに聳える高級ホテル「トレーダーズ」のオーナーでもある(脱線だが、このトレーダーズホテル、筆者も十年ほど前に宿泊したことがあるが、数年前に爆破テロに遭遇した。麻薬ギャングの勢力争いの結果と推測された)。
ローは1960年代から黄金の三角地帯で頭角を現し、最大の競合相手、国民党の残党クンサと激しい殺戮合戦を続けながら、タイとベトナムへ、ヘロインを輸出した。そのヘロインの10%はアメリカ兵にわたるなど、販路は大きく、しかも農家には補助金をばらまいてポピィの栽培を促し、厖大な財産を作ったと云われる。
ローはシャン州コカン村にうまれたが、同地は少数民族と漢族が入り乱れた地域。ややこしいのは、この地域に国教内戦に敗れた国民党の野戦軍が侵入・残留し、資金源を確保するために麻薬栽培に手を染めたことだった。
ローは教育を殆ど受けておらず、村でリカーショップをほそぼそと経営しているうちに陸軍へ入隊し、やがて立場を変えて、シャン州の少数民族ゲリラと共産ゲリラ討伐の陸軍3000名を率いるようになった。
この軍隊は利権でもあった。麻薬運搬ルートを保護し、ギャングと通じ合い、いつしかホーが麻薬部隊を率いてタイへ卸に行き、かえりにドル札ではなく黄金と取引してきた。金塊、金の延べ棒が麻薬決済に使われていた。
ミャンマー政府はローの支配地区まで統治が及ばず、タイがローを拘束し死刑判決を出したこともあるが、むしろゲリラとの調停に利用したほうが良いと判断しミャンマーへ送還した。
ミャンマー軍はシャン州の治安回復のために、麻薬取引には目をつむり、ローを泳がせた。
1991年、ローはアジアワールド社を設立し息子のスティーブ・ローを社長に据えた。スティーブは米国留学組である。たとえばシンガポールが98年だけでも13憶ドルの投資をミャンマーになしたが、その殆どはローのアジアワールドと組んだ。
このような魑魅魍魎に頼らざるを得ないミャンマーの政治。そうであるがゆえに麻薬王がビジネス界に君臨するという腐食の構造ができあがったのであろう。
杜父魚文庫
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