国論を二分した1960年代から70年代の疾風怒濤の時代を体験した私たちにとって、藤圭子(ふじ けいこ、1951年7月5日 – 2013年8月22日)の陰鬱がこもる演歌は、あの時代を見事に唄いあげていて忘れられない。
岩手県一関市生まれだから贔屓にしたのではない。むしろ浪曲歌手の父に連れられてドサ廻りした苦難の時代は北海道だったのではないか。高校進学をあきらめ17歳で『さっぽろ雪まつり』のステージで歌う姿が、レコード会社の関係者の目に留まり、上京したという。
他人からみれば不幸な生い立ちだのだが、それが藤圭子の唄の陰影を深くし、女性のハスキーな声も伴って、しみじみとした思いに駆られた。まさに、あの陰鬱な時代にぴったりの一世を風靡した演歌だった。
いまの若い世代は宇多田ヒカルの母・藤圭子ということなのだろうが、私たちの世代は「混乱の時代をともに生きた藤圭子の唄」だった。
それだけに8月22日の藤圭子の突然の死は、ひとつの時代の終わりを印象づける。
杜父魚文庫
13718 疾風怒濤の時代をともに生きた藤圭子の唄 古澤襄

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