13801 上山田・見性寺を初めて詣でた  古澤襄

念願の上山田・見性寺を初めて詣でることが出来た。檀家の過去帳が祀られている位牌堂で実の祖父・山崎由信の戒名「大徹院黙道良契居士」に手を合わせておがんだ。人は先祖の霊によって護られている。
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見性寺は”桔梗の寺”でも知られる創建から四百五十年近い歴史を刻んだ曹洞宗の古刹。信州七草寺霊場のひとつで天正三年(1575)創建の歴史がある。曹洞宗の古刹はどこでもそうだが、華麗さよりも質実にして剛健な趣を保っている。
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寺の庫裏で大黒様から茶をふまって戴いた。92歳とは思えぬ気丈な方で、三年前に電話でお話しした時には、私と同年かと思ったくらいである。山崎家は代々、檀家総代を務めているので丁重なもてなしを受けた。母の従兄・山崎善兵衛さんは、寺に尽くした功績で「院殿」の戒名がつく。
曹洞宗の戒名はカネを積んでも高位の戒名は貰えない。生前に総理大臣だろうと寺に尽くした功績がなければ「院殿」の戒名は貰えない。父方の曾祖父・為田文太郎は岩手県西和賀町の玉泉寺の檀家として功績を積んだので「院殿」がついた。
この十数年、閑があれば寺回りをしてきた。他家の墓でも江戸時代のものは、写真を撮らせて貰った。墓に刻まれた紋章に興味があったからである。家紋の歴史は平安時代頃から始まった。初期の家紋は単純なものが多いが、江戸時代になると紋様が華美になった。
それでも墓石が風雪に洗われて判読できないものが多い。石材がもろいものは後世に残らない。
家紋の総数は約二万。墓石を調べると、地方によって多い家紋にバラツキがある。北関東の「巴紋」、甲斐国(山梨県)の「菱紋」、美濃国(岐阜県)の「桔梗紋」、肥後国(熊本県)の「鷹の羽紋」が知られている。
長野県は「酢漿草(かたばみ)紋」が多いが、「藤紋」や「鷹の羽紋」、「柏紋」も広く分布している。わが山崎家は「柏紋」。岩手県は「藤紋」が圧倒的に多いが、わが古澤家の「蔦紋」は少ない。「蔦紋」は北関東に多くみられる。常陸国(茨城県)に「蔦紋」が多いので、江戸初期に常陸国から流れてきた仮説が成り立つ。
杜父魚文庫

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