13804 どこへいくインド経済、極度の低迷と度し難い迷走  宮崎正弘

インドの通貨の変動相場制移行が原因か、深層にはカースト制の弊害。インド経済はいま、1991年の経済危機に匹敵するほど深刻な状況に陥っている。失速しかけていると言って良いだろう。
外資が逃げ出し、通貨が暴落し、株式が下落し、国債は利上げ、経常収支の赤字は過去一年間で878億ドル、失業率9・9%。
しかもインドはまもなく外資の利払い時期に直面する。ロールオーバー(借り換え)は向こう一年で2500億ドル、インドの外貨準備は2790億ドル、いずれ底を突く可能性がある。経常収支改善の兆候はみられず、したがってルピーはなお暴落気配である。中国と異なりインド・ルピーは変動相場制、こういう場合、気分と投機に脆弱である上、通貨投機を狙うファンドの投機対象となりやすい。
8月17日、シン首相は官邸に経済閣僚ならびに経済財務金融担当の高官を集めて対策を練った。このような緊急事態は91年危機以来のことで、外国ファンドは、この事態を目撃してから本格的な逃げの態勢にはいった。
理由は1989年のアジア通貨危機に際してマレーシアが外国資本の国外移動を凍結したような強硬措置を怖れたからだ。
くわえての難題は2014年五月に行われる総選挙だ。インドは民主主義国家ゆえに、ポピュリズムに訴える政策が必要である。
与党は経済対策の要にある食料補給、つまり貧困層へ低価格での食料配給制度を撤廃できない。年間140億ドルがコメ、小麦などの購入に充てられ、倉庫、運送、横流しなど別のコストもかかる。貧困層対策は後手後手である。ガソリンへの補助金を打ち切ったが、たちまち与党は猛烈な批判に曝された。
 ▼しかし日本企業は強気なのだ
ところがインドで業務拡大の日本企業がある。インドでトヨタは「カムリ」のハイブリッド版の生産を開始した。
ホンダは年間300万台のバイクを600万台に引き上げる計画に加えて、販売店を現行160店舗から250店に急拡大を狙い、ラジャスタン州の新工場では乗用車24万台を2014年から生産する。
スズキの工場焼き討ち事件以来、すっかり意気消沈してきた日本企業にとって久しぶりの快音だ。
強気なのはトヨタ、ホンダばかりか、たとえばイオンは家電、バイクなどの割賦市場に打って出て、小売りへの金融事業に乗り出す。これはイオン・クレジットサービスがムンバイの金融会社と提携し、消費者の家電分轄ローンの融資を拡大させ、2016年には100億円の市場と見込んでいる。
またみずほコープと日本企業連合はクジャラート州(ムンバイの北方)の運河に太陽光発電装置をならべての売電事業を開始する。総工費300億円、発電出力目標は20万キロワット。クジャラート州は自動車産業のメッカともいわれ、電力需要が大きいため、強気である。
しかしこれらの日本企業の新事業など、果たしてうまくいくか?
スズキのマネサール工場(ハリヤナ州)で従業員の暴動が起きたのは2012年7月。原因はカースト制度のひずみがもたらした。階級の違う者が同じ生産ラインで働くことはインドの伝統的習俗、文化的慣習と真っ向から対立する。
しかしインドは法律上カーストによる差別を禁じており、日本企業は法律をまもる立場からカースト差別を助長するシステムを採用しない。
それが仇となって、進出以来30年、インドで成功したモデルケースとまでいわれたスズキが労務管理で躓いたのだ。
 
いま一つの原因はインドの労働運動の激しさである。賃上げ、待遇改善をもとめて屡々暴力的争議に発展し、日本ばかりか現代自動車など韓国勢もやり玉にあがる。
インド人はビジネスにかけては華僑をしのぐほど、熱意とあくどさ、しつこさを持っていて、世界からは「印僑」と呼ばれて嫌われるのだが、この伝統は労働運動にも浸透しているのである。
 ▼インドの経済発展を阻害するのはカースト制だ
もろさが連続して露呈した。
インドの株価と通貨が同時に下落をはじめた。主因は米国のQE3(量的緩和第三弾)のあと、バーナンキFRB議長が五月の講演で「金融緩和に歯止めをかけることもある」と示唆したため、外国ファンド筋が一斉に新興国投資から撤退をはじめた。
この悪性の連鎖、連関のなかにインドは身をおかざるを得なかった。ブラジルから、アルゼンチンから、インドネシアから米国系ファンドが撤退を始めた。その流れで多くの欧米ファンドがインドからも撤退を急いだ。
インドの損害保険企業に投資してきたウォーレン・バフェットも早々と撤退を表明し、アルセロール・ミタル(世界最大の鉄鋼企業。本籍はルクセンブルグ)は印度で計画していた製鉄所新設の一部を見送るとした。
ことほど左様にインド経済は海外情勢に大きく作用される。
たとえばインドネシアの国債を外国勢は30%保有し、マレーシアは45%(日本はちなみに5%以下)、ついでに株式投資のポートフォリオを減らせばインドの株価はがくんと下落し、それは通貨暴落へとつながる可能性がきわめて高くなるだろう。
▼庶民はインド・ルピーの貯蓄より金(ゴールド)買いに走る
インドの株価は年初来21・4%も下落し、通貨は13%の下落をしめした(数字は英誌エコノミスト、13年8月24日号)。
慌てたインド政府は通信、石油制裁、防衛産業などへの海外からの投資規制を緩和する方向にある。しかし雇用700万人をほこる民間警備分野は武器の問題など複雑な難問を抱えており、外貨規制がすんなり緩和されるとは思えない。
米国議会は「IT産業のアウトソーシングをインドに集中して発注している現実は、米国国内の雇用を奪っている」と警告し、法律の規制を検討している。インドは強く反発している。
それでなくとも、欧米ならびにアラブ資本がインドから撤退しており、輸出不振と投資不足によってルピーがさらなる暴落の危険性がある。
他方、庶民は自国通貨を信任せずに金購入を続けている。インドの12年度の金輸入はGDPの3%と見られ、とくに密輸による金が大量にインドに流入している。
こうしたインドと中国の猛烈なゴールド買いによって金相場は低迷ゾーンを抜け出し、またまた1オンス=1400ドル台を回復した(8月30日)。
「さるにてもおそるべきインドだった」と三島由紀夫は『暁の寺』に書いた。
杜父魚文庫

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