副参謀長は国際戦略学会会長を兼務、いずれも東シナ海から南シナ海をにらむ。
尖閣諸島に出没する中国海軍の艦船は北海艦隊所属。済南軍区に所属し、その母港は青島、大連はその管轄下にある。空母「遼寧」は、いま青島を拠点としている。
ちなみに台湾海峡を扼する東海艦隊は母港が寧波(上海の南対岸)、所属は南京軍区である。
広州軍区はひろく対ベトナム防衛に配置され、広西チワン自治区から海南島をカバーし、南シナ海に睨みをきかせる。南海艦隊の駆逐艦に習近平が試乗したのは国家主席就任後まもなくのことだった。
軍隊の綱紀粛正、腐敗防止を掲げる習主席は「いつでも戦争の準備をせよ」と大号令、そのうえで軍の贅沢禁止、宴会禁止を言い渡した。
しかし軍の腐敗は、単に号令だけでおさまる筈もなく、次ぎに習が展開しているのは人事作戦。つまりは自分の縁者、親戚、同志から各軍区や軍要所のトップを固める作戦である。とくにお気に入りを次々と軍区の副官クラスに任命し始めた。
七大軍区のトップクラス、およそ20名を緊急に招集した習近平は人事の入り換えを指揮し、とくに広州軍区のトップに「老山作戦」に参加した歴戦の強者、威建国・副参謀長(中将)を充てて、徐粉林大将と交替させる意向だ。
8月30日に韓国国防部幹部が北京を訪問した際に、対応したのが孫建国・副参謀長だった。肩書きは「中国国際戦略学会会長」となっていた。
前任者が威建国、そしてこんどは孫建国、いずれも名前は「建国」と勇ましくもある。
そして過去十数年、副参謀長が「中国国際戦略学会会長」を兼務する倣(ならわし)で、熊光偕、馬暁天、威建国らが歴任したポストである。熊光偕は知る人ぞ知る謀略部門を担当し、対日最強硬派の軍人論客として知られる。
習近平が福建省党副書記、代理省長をつとめた時代、南京軍区にあって習と四年間親密な関係を築きあげたのが、この威建国だった。
かれは生粋の軍人で、1987年の中越戦争に参加、つまり軍でめずらしく実戦経験がある。「老山部隊」というのは、中越戦争に活躍した部隊だが、国共内戦のときから蛮勇が知られ、1950年の朝鮮戦争、69年の珍宝島事変にもその中核的武力となって活躍した。
威建国は2008年の四川省地震でも災害救助に出動に活躍し、2010年に中将を拝命、同年秋に副参謀長に出世していた。副参謀長兼国際戦略学会会長というのは中国の「情報工作」の中核である
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