先日、ラジオ番組に出演したところ、「今年は日本でテレビ放送がはじまってから、60周年に当たりますが、テレビの功罪について、どう思いますか?」と、質問された。
街頭テレビをはじめて観た、60年前の夏の記憶が、突然、甦った。8月の暑い日だったが、鎌倉の市役所の前あたりに街頭テレビが設置されて、黒山の人だかりだった。
私は16歳だった。わが家が鎌倉にあった。この年1月にNHKが、テレビ本放送をはじめていた。ラジオ局から戻ってから、年表を調べたら、8月に日本テレビがはじめて民放局として、放送を開始していた。
私はラジオ番組のホストに、「テレビに功など、まったくありません。60年前の日本に戻ってみましよう。日本人はみな律気で、節度を守って、家族の絆がしっかりしていたし、隣近所の縁も大切にしました。それを壊した元凶が、テレビです」と、答えた。
「テレビがなかったら、きっと60年前の日本が守られていたことでしよう。漢和辞典をひくと、目がついた字には眠る、眩(めまい)とか、瞑(くらい)とか、知的なものが、1つもありません。
目と違って、耳偏がついた字は聡(さと)く、聖は耳のあなが通って、よく声が聞こえる人です。
聴くの𢛳は立てるという意味ですが、耳を立ててよく聞く。行人偏の行人は修行者ですが、徳と同じ字です。警視庁とか、国税庁の庁の本字は廰ですが、民の声をよく聞くことが役目です。それが面倒だから、庁にしたんでしよう。
愚か者は、人をじゃらすだけのテレビを見て、賢い人は、ラジオを聞きます」
テレビを観ていたら、ある教授が「アメリカの研究所に招聘されましてね」と、得意気にいった。「招聘」の「聘」は耳がついているから、賢者のことだ。招かれる側の者がいう言葉ではない。
60年前といえば、夏めくと、家のなかも衣更えした。座敷の襖(ふすま)や、障子をとり払って、簾(すだれ)を掛けて、涼しげな夏座敷を装ったものだった。
日本語には、夏扇、風鈴、夏衣(なつぎぬ)、夏帯、夏座布団(なつざぶとん)、夏布団、夏掛け、夏神楽、夏羽織、夏足袋をはじめとする、夏の到来にともなう多くの語彙がある。
青々と茂った夏山、夏木立、夏陰、夏らしく装った家である夏館(なつやかた)は、みな季語だ。はだしも、夏の季語だった。はだしで下駄を履くのが、快かった。季語、季題は、日本に独特なものだ。
路地に竹や木で造った縁台を出して、近所の人々と心を配りあって、夕涼みに時を過した。住居は風の通りみちだった。私たちは季節のうつろいにも、人にも、心をつかった。心は情けの通りみちだった。
日本語には、心配り、心づかい、心合い、心情け、心づくし、心有り、心意気、心勢い、心一杯、心入れ、心得、心がけ、心根、心がまえ、心ぎき、心添え、心碎き、心立てをはじめとして、心がついた言葉が、200以上もある。
ところが、英語となるとコンサイスをひいても、心heartがつく熟語は、heartattack心臓麻痺、heartburn胸焼け、heartdisease心臓病といった言葉ばかりだ。
かつて、私たちは心の民だった。それなのに、今では建物や、住居を鉄やコンクリートやガラスによって密閉するようになってから、風や、情けが通わなくなった。
西洋人の猿真似に、うつつを抜かした成れの果てだ。小泉八雲(イギリス名、ラフカディオ・ハーン、1850年~1904年)といえば、日本に帰化した作家で、文芸評論家だった。
ハーンは日本人の心性の高さに、魅了された。そして日本の西洋化が進んでいるのを嘆いて、口癖のように、「耶蘇(やそ)が悪いのです」といった。耶蘇はキリスト教のことだが、ハーンは西洋化という意味で使っていた。
夏といえば、夏子という女性がいた。今から、110年以上前になる。5千円札に樋口一葉の肖像が、あしらわれている。一葉は筆名で、本名をなつというが、夏子とも書いた。
樋口一葉は日本が日清戦争に勝った翌年に、25歳の若さで病死した。一度も、洋装をしたことがなかった。5千円札の肖像はなつがたった1回だけ、写真館で撮った写真がもとになっている。しかし、顔から陰翳(いんえい)を取り除いて、平面的にしたために、もとの写真の理知的で、蠱惑(こわく)的な美貌が伝わらない。
なつは、明治5(1872)年に、東京府の下級官吏を父として、府庁舎の長屋で生まれた。父は甲斐(かいの)国(くに)(現在の山梨県)の農家の子で、明治元年の11年前の安政4(1857)年に、江戸に出た。なつが17歳になった時に、父が事業に失敗し、多額の借金を残して病死した。
なつは母と妹をかかえて、針仕事や洗い張りなどの内職によって生活を支える、不遇な生涯を送った。明治29(1896)年に、肺結核で亡くなった。
なつは日記を遺したが、病没した前年の明治28(1895)年に、日記に「安(やす)きになれておごりくる人心(ひとごころ)の、あはれ外(と)つ国(くに)(註・西洋)の花やかなるをしたい、我が国(くに)振(ぶり)のふるきを厭(いと)ひて、うかれうかるゝ仇(あだ)ごころは、流れゆく水の塵芥(ちりあくた)をのせて走るが如(ごと)く、とどまる處(ところ)をしらず」「流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」と、嘆いている。
私は5千円札を手にするたびに、なつの警告を思い出す。なつの学歴といえば、11歳で4年制の小学校を卒業しただけだった。それにしても、いまの日本には教育があって、教養がない女性ばかりしかいない。
杜父魚文庫
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